満州に渡ったB6形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:43 UTC 版)
「国鉄2100形蒸気機関車」の記事における「満州に渡ったB6形」の解説
1904年2月に開戦した日露戦争において、主戦場となる満州における兵站輸送のため、大連とハルビンを結ぶ東清鉄道(のちの東支鉄道)南部支線が敵にとっても味方にとっても大きな役割を果たすものと予想された。陸軍の鉄道隊は、朝鮮半島経由の京釜線・京義線を速成し、安東 - 奉天間の安奉線を通じて敵勢力の中央を衝くほか、敵国ロシアの破壊した東清鉄道の路盤を利用して1,067 mm軌間の鉄道を敷設することになり、少数の軍人と多数の鉄道技術者からなる野戦鉄道提理部を同年5月に編成した。同部は7月に大連に上陸し、活動を始めている。 そこで使用する機関車については、一個列車の輸送量を大きくしたいとの要求から、鉄道作業局ではB6形タンク機関車を選択し、その他機関車に余裕があるとみられた、日本鉄道、九州鉄道、山陽鉄道、関西鉄道、北海道炭礦鉄道、北越鉄道からも供出させて不足を補うこととした。 1905年3月末時点で、鉄道作業局64両、日本鉄道23両、九州鉄道15両、山陽鉄道4両、関西鉄道4両、北海道炭礦鉄道3両、北越鉄道1両の計114両が陸軍への貸し渡しの形で供出されていた。鉄道作業局の64両のうち10両は、テンダー式蒸気機関車(テンダー機関車)のD10形(のちの5700形。242 - 251)で、私鉄各社もテンダー機関車を供出していたが、日本鉄道は、旧式(側水槽付きの1C形テンダー機関車。のちの7600形)であったり不具合の多い機関車(2C1タンク機関車。のちの3800形)を供出し、さらに当時の社長が陸軍中将で華族であったこともあって、評判が悪かったという。 提理部では、機関車の製作メーカーとして、ドイツのシュヴァルツコッフ社、ハノマーク社、ヘンシェル社およびアメリカのボールドウィン社に、B6形をそれぞれ12両、6両、12両、16両を発注した。前年には、イギリスのNBL社製の30両が到着し、組立ても終わっていたが、納期を短縮するために、ドイツ、アメリカへの発注をしたものと推定されている。1905年にはさらに、ボールドウィン社に150両、NBL社に150両、ヘンシェル社に20両が発注されている。 1905年2月からドイツ製のB6形が到着し始めた。これらは、輸送途中に戦略物資として押収されるのを防ぐため、送り先が香港とされていたという。積出しの記録は、鉄道作業局の記録にも残っていないが、1907年の『鉄道作業局機関車種別及び哩程』という小冊子や1908年(明治41年)の『南満州拡軌事業概要』に次のような記録が残っている。 B6形(第1種) - 341, 343 - 347, 352 - 355, 357 - 359, 361 - 363, 366 - 368, 370 - 372, 375 - 380, 382 - 385, 387, 389 - 391(37両) B6形(第3種) - 330, 333 - 337(6両) B6形(第5種) - 407, 409, 410(3両) B6形(第6種) - 415, 417, 418, 420 - 424(8両) - 合計54両 1905年4月以降、提理部に供出されたのは次の133両で、先の54両とあわせて供出されていたB6形は総計187両である。 B6形(第6種) - 425, 426, 428 - 430(5両) B6形(第7種) - 435 - 444, 446 - 449(14両) B6形(第8種) - 467 - 473, 475 - 483(16両) B6形(第7種) - 700 - 713, 715 - 738, 740 - 749(48両) B6形(第8種) - 750 - 799(50両) 上記の1 - 3が大連に到着したことより、私鉄から供出された機関車は順次返還されたが、4・5の到着は終戦間際の1905年9月であった。終戦後、提理部では同年11月から復員輸送を開始し、翌年3月に終了した。1907年3月末日、任務を終えた陸軍野戦鉄道提理部は現地で解散し、施設は南満州鉄道に引き継がれた。南満州鉄道では、同年5月から引き継いだ鉄道の標準軌への改軌工事を開始している。 1906年9月、満州に渡らなかった陸軍省所有のB6形(第8種・1000 - 1099)83両、B6形(第7種・1100 - 1199)100両、B6形(第6種・427, 431 - 434, 1200 - 1219)25両が鉄道作業局に移管された。第8種のうち1016 - 1019, 1046の5両は北海道鉄道へ、1048, 1049, 1070 - 1079の12両は日本鉄道に譲渡されたものである。 1908年5月末、南満州鉄道では、標準軌への改軌工事が終了したことにより不用となった狭軌用機関車を内地へ還送することとした。同年8月の調査では187両があり、前述したうちの奉新鉄道用に振り向けられた407, 409, 410と337, 722, 795の6両がなく、350, 373, 466, 474, 714, 739の6両が加わっている。377, 722, 795の3両は何らかの理由で既に還送され、後者の6両が代わって送られたものと思われる。内訳は、第1種・39両、第3種・5両、第6種・13両、第7種・63両、第8種67両の計187両である。これらは、1908年8月から1911年(明治44年)3月にかけて内地へ還送され、このうち、イギリス製の第1種5両 (359, 363, 366, 759, 792) およびアメリカ製の第7種6両(1909年改番後の2521, 2525, 2529, 2534, 2548)が台湾総督府鉄道に譲渡され、大連から直接台湾に送られている。これらを除いた176両が内地へ還送されたものである。
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