満州事変から朝鮮総督へとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 満州事変から朝鮮総督への意味・解説 

満州事変から朝鮮総督へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:33 UTC 版)

南次郎」の記事における「満州事変から朝鮮総督へ」の解説

1927年昭和2年)に参謀次長就任同年田中内閣第二次東方会議松井石根第二部とともに出席1929年昭和4年)に朝鮮軍司令官に就くなど要職歴任1930年昭和5年)には大将進み軍事参議官となる。1931年昭和6年4月に、宇垣後任として第2次若槻内閣陸軍大臣就任白川義則金谷範三参謀総長と並ぶ穏健派として位置付けられ、彼らと連携して陸軍制御できる人材として幣原喜重郎安達謙蔵からも期待寄せられていた。しかし軍政経験見劣りしていた南は陸軍統制できるだけリーダーシップが十分とは言えず、宇垣にとっては急逝した畑英太郎次善の策としか見なされていなかった。また、閣議満州独立唐突に表明したり、間島出兵巡って国際連盟脱退などの強硬意見主張するなど、立場一貫性にも欠けていた。宇垣軍縮巡っては、軍政改革による余剰資金近代化財源への充当をめざし、国庫への戻し入れ主張する大蔵省対立就任後同月27日金谷参謀総長軍縮是非について意見を問うたところ、金谷師団削減否定的な態度示した拡大会議派らの主張していた対中兵器全面輸出解禁是非に関しては、幣原同じく東北軍および南京中央国民政府軍限定する宇垣路線継承した。また陸相在任中に部下軍事課であった永田鉄山国家総動員法策定関わり出した同年9月満州事変勃発すると、国際協調主義方針とする民政党政権路線金谷とともに寄り添いつつも、臨時参謀総長委任命令巡って政府陸軍大綱押さえる事に反発し幣原とも対立したが、チチハル占領ハルビンへの出兵要請退け錦州への進出押し留めることには成功した十月事件発生時、荒木貞夫反発押し切り関係将校保護検束踏み切るも、事後処理巡って極刑唱えていた白川義則長老陸相人事への介入や反宇垣姿勢危機感感じきわめて軽い処分すませている。また、荒木らからの排斥避けるため事態隠忍した金谷態度を「其儘主義」と見なし、これ以降白川のみならず金谷とも亀裂入った加えてスティムソン談話事件金谷失脚すると、荒木皇道派自身への責任追及恐れてか、関東軍への妥協的姿勢強めるようになる12月第2次若槻内閣退陣で、陸軍大臣退き、再び軍事参議官となる。南の他にも杉山元陸軍次官二宮治重参謀次長小磯国昭軍務局長建川美次作戦部長といった不拡大路線宇垣派は陸軍中央要職から排除され、反宇垣派・一夕会メンバー占めるようになる犬養内閣成立後12月より、翌年1月まで満洲視察帰国後、昭和天皇満州近況報告し関東軍による満州独立国化は既成事実であり、北満進出容易化日満共同経営による自給自足体制確立満州へ移民による人口問題解決などを上奏。しかしこの満州国独立論に危機感感じた昭和天皇犬養政府としての意見質し反対意見上奏させた。しかしその犬養陸軍内部一夕会幕僚推進運動世論突き上げられ最終的に関東軍に引き摺られた。1934年昭和9年)には関東軍司令官に就任する。 1936年昭和11年)、第8代朝鮮総督になり内鮮一体化唱え民族語復活 朝鮮語教育の推進[要出典] 創氏改名 などの政策行った朝鮮人中には抗議の意味込めて「南太郎」と改名届を出した者もいたとされる[要出典]。南が朝鮮総督として君臨した6年間に朝鮮人帝国臣民化政策は推進された(ただし、実際に政務総監大野緑一郎全て丸投げしていたとの評もある[要出典]。)。 後に枢密顧問官貴族院議員大日本政治会総裁翼賛議会下の8割を占め衆議院院内会派)を歴任する

※この「満州事変から朝鮮総督へ」の解説は、「南次郎」の解説の一部です。
「満州事変から朝鮮総督へ」を含む「南次郎」の記事については、「南次郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「満州事変から朝鮮総督へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

満州事変から朝鮮総督へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



満州事変から朝鮮総督へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの南次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS