澁澤龍彦
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澁澤 龍彥[注 1](しぶさわ たつひこ、1928年〈昭和3年〉5月8日 - 1987年〈昭和62年〉8月5日)は、日本の小説家、フランス文学者、評論家。
注釈
- ^ 『彥』[U+5F65]は「偐」の旁部分(「彦」の旧字体)。数値文字参照:[
彥
] - ^ 旧字を新字に直す慣例のある出版界でも珍しく、いまだに名前の漢字全てが旧字体のまま出版されているが、澁澤自身は生前自らの名前が「竜」の字で代用されるのを嫌っており、「私は署名をするときにも、竜彦などとは間違っても書かない。(略)これはタツではなくて、尻尾の生えたカメみたいではないか」と記している[3]。
- ^ 栄一の父・市郎右衛門(元助)は澁澤家の本流とされる「東の家」から支流の「中の家」に養子として入った。
- ^ 1969年に再婚、編集者出身。
- ^ 旅行自体は、夫人の回想記『澁澤龍彥との旅』や『澁澤龍彥との日々』(白水社)、図版の編著『澁澤龍彥のイタリア紀行』(新潮社 とんぼの本)に詳しい
- ^ 式場隆三郎『サド侯爵夫人』も読みこんでいたことは間違いない。新版は『サド侯爵夫人とその夫』(書肆心水、2020年)
- ^ 三島事件そのものは、種村季弘から電話で知らされた。
- ^ 『日曜美術館 幻想の王国-澁澤龍彥の世界』(NHK教育、1994年5月15日放送)で、土方巽の葬儀にて挨拶する数少ない映像が放送された。
- ^ 一部作品の初出は、三島や中村光夫が参加した「鉢の木会」が編集した、大判の季刊文芸誌『聲』(発行元は丸善)であった。他は「陽物神譚」「マドンナの真珠」
出典
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ 『旅の仲間: 澁澤龍彥・堀内誠一往復書簡』229ページ
- ^ 『記憶の遠近法』所収「ドラゴン雑感」
- ^ a b Invenshon. インヴェンション. Hiroshi Takayama, Shin'ichi Nakazawa, 宏 高山, 新一 中沢. Meijidaigakushuppankai 明治大学出版会. (2014.3). ISBN 978-4-906811-06-9. OCLC 879616267
- ^ 三島由紀夫『澁澤龍彥氏のこと』-『快楽主義の哲学』(光文社カッパブックス、1965年)でのカバー紹介
- ^ 出口裕弘『澁澤龍彥の手紙』朝日新聞社、1996年、100-101頁。
- ^ 赤木洋一『平凡パンチ1964』〈平凡社新書〉2004年。
- ^ 森茉莉『ドッキリチャンネル』
- ^ 澁澤龍彦『私の少年時代』河出書房新社
- ^ 編集担当は小野二郎。のち晶文社を設立。
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