棲真寺とは? わかりやすく解説

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棲真寺

作者碓井静照

収載図書おちょろ女と虚無僧
出版社ガリバープロダクツ
刊行年月2005.8


棲真寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 14:12 UTC 版)

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棲真寺
棲真寺
所在地 広島県三原市大和町平板2033番地
位置 北緯34度27分32.6秒 東経132度56分31.5秒 / 北緯34.459056度 東経132.942083度 / 34.459056; 132.942083座標: 北緯34度27分32.6秒 東経132度56分31.5秒 / 北緯34.459056度 東経132.942083度 / 34.459056; 132.942083
山号 応海山
宗旨 臨済宗
宗派 妙心寺派
本尊 千手大悲観世音菩薩(千手観音
創建年 承久元年(1219年
開基 土肥実平土肥(小早川)遠平
正式名 応海山棲真寺
札所等 広島新四国八十八ヶ所霊場 第56番
法人番号 8240005012190
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棲真寺(せいしんじ)は、広島県三原市にある臨済宗妙心寺派の寺院。応海山と号す。

歴史

寺伝によれば、源頼朝の娘で土肥(小早川)遠平の妻となった早世した天窓妙仏の菩提のために承久元年(1219年)に創建された。江戸時代に火災にあう。廃仏毀釈で一旦は廃寺となるが再興した[1]

文化財

広島県指定重要文化財

  • 木造二十八部衆立像13体

三原市指定重要文化財

その他

  • 定ヶ原石塔 - 寺から2キロメートル以上離れた場所にある宝篋印塔、広島県県史跡。天窓妙仏の母で棲真寺に住んでいた寿庵の墓と伝えられている[1]

脚注

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注釈

  1. ^ 「千手大悲観音菩薩」は一般にいう「千手観音」のこと。ここでは市指定の名称に従う。

出典

  1. ^ a b 広島県の歴史散歩』142頁。

参考文献

関連項目

外部リンク



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