日本におけるマラリアとは? わかりやすく解説

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日本におけるマラリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:00 UTC 版)

マラリア」の記事における「日本におけるマラリア」の解説

日本では1903年時に全国年間20万人マラリア患者があったが、1920年には9万人1935年には5000人へと激減し戦中戦後の混乱期にも関わらず減少続け1959年滋賀県彦根市事例最後に土着マラリア患者消滅している、沖縄県では米軍統治下の1962年消滅した日本古文献では、しばしば瘧(おこり)・瘧病(おこりやまい/ぎゃくびょう)と称される疫病登場するが、今日におけるマラリアであると考えられている。養老律令医疾令では、典薬寮に瘧の備えておく規定がある。『和名類聚抄』には別名として「和良波夜美わらわやみ)」「衣夜美(えやみ)」が記載されている(アーサー・ウェイリー訳ではague「マラリア」と訳してある)。前者は童(子供)の病気後者疫病の意味であると考えられている。『源氏物語』の「若紫」の巻では光源氏が瘧を病んで加持(かじ)のために北山訪れ通りかかった家で密かに恋焦がれる藤壺23歳)の面影を持つ少女(後の紫の上)を垣間見る設定になっている近代以前には西日本低湿地帯において流行がみられた。歌舞伎の『助六由縁江戸』の口上は「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一瘧が落ちる熱病治る)…」である。江戸時代川柳題材としてもしばしば用いられていた。 明治以後沈静化している。 北海道 北海道ではほぼ全域流行し明治時代以降北海道開拓支障来していた。例えば、1907年明治40年3月着工され網走線鉄道工事の陸別・置戸間(当時密林地帯入植者はなかった)では、マラリア皮膚病などに悩まされ網走線請負人共同で普通病院設置しなければならなかった。また、深川村現在の深川市)に駐屯していた屯田兵とその家族マラリア流行があり、1900年には1471名の屯田兵家族感染していた(当時深川村屯田兵家族総数:8207名。正確な年は不明だが、この頃深川村人口14,073名)。1916年大正5年)には、北海道全域マラリア患者数は、2,003名であったマラリアによる死亡者なし。当時北海道人口:1,408,362名)。北海道流行したマラリアは、三日熱マラリアであり、その大多数土着マラリアであると思われるが、撲滅された。ただし、今の北海道にも、かつて、日本熱帯熱マラリアおよび三日熱マラリア流行させたと推察されているオオツルハマダラカAnopheles lesteri)、あるいは、シナハマダラカAnopheles sinensis)などのハマダラカ生息している。 本州 琵琶湖周辺中心として、福井県石川県愛知県富山県マラリア患者数多く福井県では大正時代毎年9000 - 22000名以上のマラリア患者発生しており、1930年代でも5000から9000名の患者報告されていた。本州流行したマラリア三日熱マラリアであり、その大多数土着マラリアであると思われる沖縄 特に八重山諸島にはマラリア感染地域があることが知られ琉球王朝時代から強制移民廃村繰り返され歴史がある。また、第二次世界大戦中には戦争マラリア呼ばれる大量感染記録がある。これらも米軍政府普天間基地拠点とした米軍防疫部隊尽力1960年代前半根絶された。ただし、今の石垣市西表島東部小浜にも、コガタハマダラカ高密度に生息している。なお、この地方マラリアについては真の土着ではなく、より古い時代オランダ船によりもたらされたとの説がある。 戦後マラリア 一般的にマラリア戦争時戦後直後大流行する傾向がある。実際第一次世界大戦初期には欧州本土軍隊間に甚だしマラリア流行はなかったが、末期近くになるにつれて漸次蔓延し戦後には復員と共に従来マラリアをみなかった地方にまでもこれをみる様になり、遂に一時的ではあったが大流行となった例えば、第一次世界大戦後チェコスロバキア熱帯熱マラリア流行がみられた。したがって日中戦争 - 第二次世界大戦中の日本においても、ある程度マラリア対策なされていた。しかし、1939年以降全国府県北海道を含む)にマラリア患者発生をみないところはなく、特に、福井県滋賀県愛知県富山県石川県では、患者発生数多かった第二次世界大戦後沖縄・奄美小笠原以外の日本当時沖縄・奄美小笠原日本返還されていなかった。以下、この節では、この日本内地称する)に帰還し内地マラリア再発したのは、約43万人引揚者を含む)と推定されている。これらの者が感染源となってマラリア内地土着蔓延するではないか憂慮されていた。三日熱マラリアは、1946年1947年に、それぞれ約7,000人の内地初感染があったと推定されている。四日マラリアは、内地初感染全くなかった熱帯熱マラリアは、1946年に、長崎県36人)、熊本県1人)、鹿児島県2人)、岡山県1人)、愛知県1人)、大阪府1人)で、1946年 - 1947年北海道留辺蘂町(7人)で、1949年に、福岡県1人)で、内地初感染流行)があった。以上の流行は、大体、1 - 2年以内終息し土着蔓延しなかった。 現在の日本土着マラリア流行していない理由 日本では1903年時に全国年間20万人あったマラリア患者が、1920年には9万人1935年には5000人へと激減している。戦後500万人超える復員者による再流行懸念されたが、戦中戦後の混乱期にも関わらず減少続け1959年彦根市事例最後に土着マラリア患者消滅している。現在では外国マラリア感染し日本に帰国してから発症する例が年間100 - 150程度あるものの、土着マラリア流行していない。 土着マラリア患者大正時代頃から戦後直後にかけて減少消滅した原因治療薬キニーネ治療効果蚊帳蚊取線香使用などで生活環境の改善湿地土地改良殺虫剤DDT散布によるマラリア媒介ハマダラカ減少などにあるとされる。また日本の住宅構造や行様式変化により夜間活動するハマダラカ吸血頻度低下したことなどがあげられる。しかし、これらの状況温暖化自然災害などにより変化した場合は再び流行起こす可能性もあると指摘されている。

※この「日本におけるマラリア」の解説は、「マラリア」の解説の一部です。
「日本におけるマラリア」を含む「マラリア」の記事については、「マラリア」の概要を参照ください。

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