日本におけるマルティニ・ヘンリー銃とは? わかりやすく解説

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日本におけるマルティニ・ヘンリー銃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:43 UTC 版)

マルティニ・ヘンリー銃」の記事における「日本におけるマルティニ・ヘンリー銃」の解説

日本におけるマルティニ・ヘンリー銃の配備は、慶応4年(明治元年、1868-1869年)の庄内藩での制式採用最初事例で、後の明治4年(1871-1872年)には大日本帝国海軍移乗攻撃部隊である海兵隊にて本銃が採用された。当時陸軍ではブリーチ後装銃スナイドル銃採用されていたが、移乗攻撃という戦法性質速射性能を重視した為に海兵隊では本銃が採用されたという。移乗攻撃時代遅れとされた為、海兵隊1876年一度解体されるが、後に海兵隊任務内包する形で臨時編成部隊として発足した海軍陸戦隊でも村田銃登場までスナイドル銃や本銃が併用されたという。 日本では前述のピーボディ・マルティニ銃と共にマルチニーヘンリー銃またはヘンリーマルチニー銃、馬珍銃等と呼ばれていた。 帝国海軍では索投擲銃として、当初帝国陸軍より払い下げられ村田銃ベース甲号擲弾銃改造品を用いていたが、後にマルティニ・ヘンリー銃ベースとした索投擲銃萱場製作所(カヤバ)や川口屋林銃砲火薬店(KFC)に製造させて制式採用昭和20年日本の敗戦まで用いられた。 先代日本海軍建軍 日本軍制式小銃1871-1880 次代村田銃

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