撃墜までの経過
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「大韓航空機撃墜事件」の記事における「撃墜までの経過」の解説
※時刻は東京/ソウル時間 (UTC+9)。 1983年8月31日 13:05 - KAL007便がジョン・F・ケネディ国際空港を出発、この際に慣性航法装置 (INS) 3基のうちの1基に不具合が報告された。 20:30 - 燃料補給のためにアンカレッジ国際空港に到着。燃料を補給する間に乗務員を交替し、千炳寅機長と副操縦士、航空機関士の3人が新たに運航乗務員としてソウルまでの乗務に当たることとなった。また、社員割引でニューヨークから搭乗してきた他の航空会社の社員が降機した。なお、機内で就寝していた一部の乗客を除き、乗客の多くは空港ターミナルビル内の待合室へ移動した。 21:20 - アンカレッジ国際空港を出発予定。しかし、追い風のためソウル(金浦国際空港)開港 (6:00) 前に到着することが分かり、出発を見合わせた。 21:50 - ニューヨークからの乗客と、アンカレッジからの乗客(カナダからの乗り継ぎ客を含む)を乗せて、予定より30分遅らせてアンカレッジ国際空港を出発した。追ってロサンゼルス発ソウル行きのKAL015便(ボーイング747-200)も出発した。 22:00 - KAL007便が離陸。 22:02 - ウェイポイント「ベセル」へ向かうため方位角245度へ機首を向ける。以降、機首は245度のまま(※方位角90・180・270・360(=0)度は順に東・南・西・北)。 22:27 - カイルン山電波局付近を通過し、レーダー圏外へ入る [この時、既に予定航路 (J501) を北へ11キロメートル逸脱していたことが後に判明した。管制官からの警告は無かった]。 22:49 - アンカレッジの管制官に「ベセル」通過を報告。実際のベセルより22キロメートル北の位置であった。アメリカ空軍レーダーサイト「キングサーモン」の圏内であったが、これは管制権を持っていなかった事もあり、KAL007便への警告はしなかった。この後、最も北寄りでソビエト社会主義共和国連邦領に近い北太平洋航空路であるR20(ロメオ20)に向かうはずだった。 9月1日 00:51 - ソ連の防空レーダーが、カムチャツカ半島北東を飛行する航跡をとらえる。ソ連側はアメリカ軍機と判断した。 01:30 - 007便、ソ連の領空を侵犯。ソ連軍機は迎撃を試みるも接触できずに帰投。 02:28 - 007便、カムチャツカ半島を通過。ソ連のレーダーから消えた。 02:36 - 007便、樺太に接近しソ連軍は警戒態勢に入る。 02:54 - この時点から007便のボイスレコーダーの録音が残る。操縦士らは雑談に興じていた。 03:05 - 007便、後続便(同航路を2分遅れで飛行するKAL015便)と通信し、お互いの風向風速がまったく異なっていることに気付く。しかし、操縦士らはフライトプランを見て誤差の範囲内だと判断し、ロメオ20の航路逸脱には気付かなかった。 03:08 - ソ連軍機(Su-15TM迎撃戦闘機)が007便を視認。暗いため機種の判別はできていない。航法灯と衝突防止灯が点灯していることを報告。 03:20 - 新東京国際空港(現・成田国際空港)内にあった東京航空交通管制部東京国際対空通信局が、007便に3万5000フィートへの高度変更を許可(燃料節約のための高度上昇)。 03:21 - ソ連軍機(MiG-23P迎撃戦闘機)、警告射撃。しかし、曳光弾は搭載されておらず、徹甲弾(光跡を伴わず、弾丸の航跡が見えない)のみ発射。007便も気付かず。 03:23 - 007便、高度上昇し3万5000フィートに到達。これに伴う速度低下で、ソ連軍機は007便の真横まで追いついてしまうが、当時の技術では旅客機が軍用機の接近を感知するのは困難で、“Traffic!(他機接近!)” の警告音は鳴らず、007便は気づくことができなかった。 03:23 - 攻撃命令発令。 03:25 - ゲンナジー・オシポーヴィチ (Геннадий Осипович, Gennady Osipovich) 中佐の操縦するSu-15TMがミサイルを発射、通常の手順に従い、赤外線誘導式とレーダー誘導式の計2発。30秒後 (03:26:02)、007便の尾翼の後方50メートルで赤外線誘導式が爆発した。結果、方向舵制御ケーブル周辺、4つの油圧系統のうち第1から第3系統を損傷(ICAOの最終報告書による推測)し、機体に約1.75平方フィートの穴が開いて急減圧が発生。機体は一時上昇して3万8250フィートまで到達したが、手動か自動かは不明だが自動操縦が解除され (03:26:46)、エンジン出力を下げて、ギアダウン(車輪降ろし)をすると、降下し始めた。操縦は困難となる(なお、第4油圧系統と、両主翼及び4つのエンジンは無事だった)。ボイスレコーダーの記録によると、着弾するかなり前から、ほとんどの乗客は起きていて、機内食をとっていたようである。 それとともに、機内に大きな衝撃と轟音が鳴り響いた。 ICAOの推定では、乗客は墜落まで全員意識を保ったまま生存していたとされており、その恐怖と苦痛は大変大きいと思われる。機長は減圧を知覚して酸素マスクを装着する。 03:26 - 機長が東京コントロールの管制官に「急減圧の発生」と「高度1万フィートへ降下する」旨交信をしたものの、雑音により途中で交信が途絶した。これ以降、セルコールによる呼び出しを含めてコールするが応答せず、機長らはなおも操縦を試みたと思われるが、音声は記録されていない(03:27:20、3万5000フィートに戻った時点では水平飛行となっていた)。客席からの悲鳴が2度にわたって記録される。一方、ボイスレコーダーの音質が次第に悪化していった。 03:27 - 着弾から1分44秒後 (03:27:46)、ブラックボックスの記録が途絶えた(着弾の衝撃と外気の侵入による断線のためと思われる)。ボイスレコーダーの最後の音声は、緊急降下を知らせる自動アナウンスだった。その後007便は操縦不能に陥り、左へ旋回し、上昇・下降しながら落下し続ける。 03:38 - ソ連及び北海道稚内市の航空自衛隊稚内分屯基地のレーダーサイト(北部航空警戒管制団 第18警戒群)から007便の機影が消えた。ソ連のレーダー記録、公開された機体の残骸や遺体の状況などから、007便は機首を下げたまま激突もしくは空中分解し、墜落したと推測されている(乗員・乗客は、鈍的外傷のため全員即死したと推定される)。近くで操業していた日本のイカ釣り漁船「第五十八千鳥丸」の乗組員は、海馬島(モネロン島)の北18.5海里沖で飛行機の爆音と海上での爆発を目撃し、航空機の燃料に用いられるケロシンの匂いがしたと証言した。
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