御殿場線・身延線・中部地区とは? わかりやすく解説

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御殿場線・身延線・中部地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:18 UTC 版)

国鉄115系電車」の記事における「御殿場線・身延線・中部地区」の解説

身延色(赤2号クリーム10号2日間だけ存在した茶色地色身延色(ぶどう色2号クリーム10号B5編成 御殿場線1968年電化より運用されていた旧性能電車72系置き換え用として、1979年東北高崎線への115系1000番台投入捻出された基本番台4両編成11本計48両が小山電車区から沼津機関区転入した身延線が新性能化された際に共用可能なよう低屋根車800番台組み込んだ4両編成となり、1979年9月より御殿場線での営業運転開始した御殿場線72系同年10月さよなら運転実施され営業運転終了した身延線に残る旧性能電車置き換え対象となり、20002600番台新製投入され1981年8月より営業運転開始した編成クモハ115形を含む4両編成基本で、車体塗装赤2号地色クリーム10号帯の通称身延色」が採用された。当初クモハ115-モハ114+クハ115-クハ115クハ同士背中合わせにした変則編成で、編成中央部乗務員室でのドア扱い考慮されていたが、短期間クハ115+クモハ115-モハ114-クハ115編成組み替えられて変則編成消滅した32系42系40系51系などの身延線旧形電車は、アコモデーション改造車モハ62系除いて1981年8月運用終了した郵便荷物合造車クモハユニ44形もクモユニ143形の新製により置き換えられ、クモユニ143形は115系同様の身延色に塗装され運用された。 1984年2月ダイヤ改正では、御殿場線身延線ともに4両編成から3両編成短縮された。モハ115形先頭車化改造クモハ115形500番台になるとともに捻出されたクハ越後弥彦線電化用に転出している。この改正では岡山広島地区0番台転入しており、低屋根車通常屋根車が混在したことから、御殿場線身延線の共通運用はできなかった。旧性能電車唯一残っていた身延線アコモデーション改造車モハ62系もこのダイヤ改正運用終了し1986年廃車となった1985年3月ダイヤ改正では三鷹電車区から低屋根車800番台ユニット転入し差し替えられた0番台ユニット新前橋電車区転出した。これにより御殿場線身延線の共通運用が可能となり、予備車1本削減による捻出車が増発列車投入された。 1986年11月ダイヤ改正では、沼津機関区配置車両静岡運転所移管された。中央西線中津川以北運用される車両松本運転所受け持ちであったが、分割民営化見据えて神領電車区現・神車両区)に移管された。低屋根車を含むクモハ115-520+モハ114-831は岡山電車区転出した国鉄最末期1987年には静岡運転所一部編成豊橋機関区転属し、飯田線での運用開始されている。 国鉄分割民営化JR東海継承され115系は、1988年度より湘南色への塗装変更が行われ、身延色は消滅した同年度からはC-AU711系集約分散式冷房装置による冷房化開始され0番台車補助電源装置設置して5000・6000番台改番冷房準備車10002600番台はAU75系用の塞ぎ板を残したままC-AU711形が搭載された。S1編成クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)はC-AU711系冷房試作改造車で、室内冷房風道形状量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し単独であるなどの相違見られた。 1989年には211系増備115系0番台廃車発生するとともにJR東海115系静岡運転所への集中配置となった編成0番台補助電源付き冷房改造5000番台編成がN編成身延線低屋根車2600番台を含む編成B編成、元松本運転所所属1000番台主体とする編成がS編成区分された。身延線沼津静岡方面直通列車入出区・検回送などで東海道本線走行することもあった。 B編成はクモハ・クハ1152000番台身延線断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成され編成で、東海道本線御殿場線身延線飯田線運用された。S編成1000番台主体編成で、大半国鉄時代松本運転所から神領電車区転入した経歴を持つ。クモハ・モハのユニット全車1000番台グループであるが、クモハ115形の8両中5両は国鉄時代先頭車化改造された1500番台であった。 S編成クハ115形はサハ1150番台先頭車化改造600番台が8両中6両、1000番台大型前照灯0番台が各1両となっている。S8編成大型前照灯クハ115-188は1985年三鷹電車区から転入した内装大半が未更新であるが、S2編成クハ115-616のみ室内化粧板ドアクリーム系色に交換塗装変更施工された。 飯田線運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時運用障害があったことから、中央西線用の115系165系入れ替わる形で飯田線転用された。飯田線では豊橋 - 茅野長野間と広範囲運転された。 1998年平成10年)の身延線全通70周年記念として、B4編成クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)が約1年間限定で「身延色」に復元された。ただし名古屋工場担当者の手違い2日間だけワインレッド赤2号ではなく茶色ぶどう色2号)の地色運転された。これはリリース文で「ぶどう色電車」が「ぶどうをイメージした色」の意味合い書かれたものを工場側で国鉄色色名である「ぶどう色」と誤解したことによる中央西線165系への置き換え以降長らく115系走らない線区となっていたが、1998年12月ダイヤ改正JR東日本からの乗り入れ列車中央西線飯田線ともに従来169系から115系変更され中央西線での115系走行復活した飯田線快速「みすず」ではJR東海115系JR東日本管内中央本線篠ノ井線経由し長野まで乗り入れる運用1日1往復あった。 身延線での冬期霜取り3両編成無動力のモハ114形を組み込んだ変則4両編成行われていたが、1998年B8編成モハ114-2608に霜取りパンタグラフ搭載されたため、編成変更解消された。このため編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年営業運転終了後残存した。 C-AU711系冷房試作車S1編成2006年9月廃車解体された。クハ115-188は原型前照灯のまま2006年11月廃車となり、同年12月2日浜松工場解体された。B5編成クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)は車両故障運用離脱したS4編成代替として2006年12月にS編成運用転用され、運用から外れたS4編成修復されないまま2007年廃車となった2006年4月1日時点では静岡車両区B編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)が残存していた。313系増備により2007年3月運用終了し全廃となった

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