御殿場線・身延線・中部地区
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「国鉄115系電車」の記事における「御殿場線・身延線・中部地区」の解説
身延色(赤2号・クリーム10号) 2日間だけ存在した茶色が地色の身延色(ぶどう色2号・クリーム10号) B5編成 御殿場線で1968年の電化より運用されていた旧性能電車72系の置き換え用として、1979年に東北・高崎線への115系1000番台投入で捻出された基本番台4両編成11本計48両が小山電車区から沼津機関区へ転入した。身延線が新性能化された際に共用可能なよう低屋根車800番台を組み込んだ4両編成となり、1979年9月より御殿場線での営業運転を開始した。御殿場線の72系は同年10月にさよなら運転が実施され、営業運転を終了した。 身延線に残る旧性能電車も置き換えの対象となり、2000・2600番台が新製投入されて1981年8月より営業運転を開始した。編成はクモハ115形を含む4両編成が基本で、車体塗装は赤2号地色にクリーム10号帯の通称「身延色」が採用された。当初はクモハ115-モハ114+クハ115-クハ115とクハ同士を背中合わせにした変則編成で、編成中央部の乗務員室でのドア扱いが考慮されていたが、短期間でクハ115+クモハ115-モハ114-クハ115の編成に組み替えられて変則編成は消滅した。 32系・42系・40系・51系などの身延線旧形電車は、アコモデーション改造車のモハ62系を除いて1981年8月に運用を終了した。郵便・荷物合造車のクモハユニ44形もクモユニ143形の新製により置き換えられ、クモユニ143形は115系と同様の身延色に塗装されて運用された。 1984年2月のダイヤ改正では、御殿場線・身延線ともに4両編成から3両編成に短縮された。モハ115形が先頭車化改造でクモハ115形500番台になるとともに、捻出されたクハが越後・弥彦線電化用に転出している。この改正では岡山・広島地区の0番台も転入しており、低屋根車と通常屋根車が混在したことから、御殿場線と身延線の共通運用はできなかった。旧性能電車で唯一残っていた身延線のアコモデーション改造車モハ62系もこのダイヤ改正で運用を終了し、1986年に廃車となった。 1985年3月のダイヤ改正では三鷹電車区から低屋根車800番台ユニットが転入し、差し替えられた0番台ユニットが新前橋電車区へ転出した。これにより御殿場線・身延線の共通運用が可能となり、予備車1本削減による捻出車が増発列車に投入された。 1986年11月のダイヤ改正では、沼津機関区の配置車両が静岡運転所に移管された。中央西線の中津川以北で運用される車両は松本運転所の受け持ちであったが、分割民営化を見据えて神領電車区(現・神領車両区)に移管された。低屋根車を含むクモハ115-520+モハ114-831は岡山電車区へ転出した。国鉄最末期の1987年には静岡運転所の一部編成が豊橋機関区に転属し、飯田線での運用が開始されている。 国鉄分割民営化でJR東海に継承された115系は、1988年度より湘南色への塗装変更が行われ、身延色は消滅した。同年度からはC-AU711系集約分散式冷房装置による冷房化も開始され、0番台車は補助電源装置を設置して5000・6000番台に改番、冷房準備車の1000・2600番台はAU75系用の塞ぎ板を残したままC-AU711形が搭載された。S1編成(クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)はC-AU711系冷房の試作改造車で、室内冷房風道形状が量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し、単独であるなどの相違が見られた。 1989年には211系の増備で115系0番台の廃車が発生するとともに、JR東海の115系は静岡運転所への集中配置となった。編成は0番台の補助電源付き冷房改造車5000番台の編成がN編成、身延線用低屋根車2600番台を含む編成がB編成、元松本運転所所属の1000番台を主体とする編成がS編成に区分された。身延線と沼津・静岡方面の直通列車や入出区・検査回送などで東海道本線を走行することもあった。 B編成はクモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線で運用された。S編成は1000番台主体の編成で、大半が国鉄時代に松本運転所から神領電車区に転入した経歴を持つ。クモハ・モハのユニットは全車が1000番台グループであるが、クモハ115形の8両中5両は国鉄時代に先頭車化改造された1500番台であった。 S編成のクハ115形はサハ115形0番台の先頭車化改造車600番台が8両中6両、1000番台と大型前照灯の0番台が各1両となっている。S8編成の大型前照灯車クハ115-188は1985年に三鷹電車区から転入した。内装は大半が未更新であるが、S2編成のクハ115-616のみ室内化粧板・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更が施工された。 飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、中央西線用の115系が165系と入れ替わる形で飯田線に転用された。飯田線では豊橋 - 茅野・長野間と広範囲で運転された。 1998年(平成10年)の身延線全通70周年記念として、B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)が約1年間限定で「身延色」に復元された。ただし名古屋工場担当者の手違いで2日間だけワインレッド(赤2号)ではなく茶色(ぶどう色2号)の地色で運転された。これはリリース文で「ぶどう色の電車」が「ぶどうをイメージした色」の意味合いで書かれたものを工場側で国鉄色の色名である「ぶどう色」と誤解したことによる。 中央西線は165系への置き換え以降は長らく115系の走らない線区となっていたが、1998年12月のダイヤ改正でJR東日本からの乗り入れ列車が中央西線・飯田線ともに従来の169系から115系に変更され、中央西線での115系の走行が復活した。飯田線快速「みすず」ではJR東海の115系がJR東日本管内に中央本線・篠ノ井線を経由し長野まで乗り入れる運用が1日1往復あった。 身延線での冬期の霜取りは3両編成に無動力のモハ114形を組み込んだ変則4両編成で行われていたが、1998年にB8編成のモハ114-2608に霜取りパンタグラフが搭載されたため、編成の変更が解消された。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年の営業運転終了後も残存した。 C-AU711系冷房試作車のS1編成は2006年9月に廃車解体された。クハ115-188は原型前照灯のまま2006年11月に廃車となり、同年12月2日に浜松工場で解体された。B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)は車両故障で運用を離脱したS4編成の代替として2006年12月にS編成運用に転用され、運用から外れたS4編成は修復されないまま2007年に廃車となった。 2006年4月1日時点では静岡車両区にB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)が残存していた。313系の増備により2007年3月で運用を終了し、全廃となった。
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