御殿居(里城)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/13 04:32 UTC 版)
「一宮城 (阿波国)」の記事における「御殿居(里城)」の解説
本丸から東北方向に約500mの地点に、「御殿居」と呼ばれている居館がある。正確な面積は不明だが、南北約140m、東西約130mと考えられている。この付近の標高は18mで内部には寄神社がある。御殿居の名称の由来は、土塁囲みの城、館からきており、日本各地には領主屋敷のとして地名が残っている例があり、一宮城の居館も堀と土塁で巡らしていたと思われているが、現在はそのような遺構は無く水田となっている。この居館は『三好記』にも、 夜に紛れ一宮長門守へ夜討にぞ入りりける。長門守は常に下屋敷に用害密しくて居たりけり共、敵大軍を以て門戸を打破りて乱入る。長門守が老従に木村肥前守兼て屋敷の案内を知りたる事なれば、裏より走り入りて長門守を伴ひ、抜け道より落ちける処に、早や敵大勢乱入りて長門守が妻女を敵の方に引供したり。 — 三好記 とある。これは三好実休が阿波国守護である細川持隆を殺害したことに激怒し、久米義広が三好実休の妹婿であった一宮成祐がいる一宮城を攻城した部分である。ここにある下屋敷というのは居館、里城のことで、「要害きびしく」というのは、堀、土塁を巡らした居館を指すと思われている。
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