御殿場線の電化
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1968年には御殿場線の電化に伴い、直通列車を電車に置き換えることになったため、気動車による直通列車の運行は1968年6月30日限りで終了した。同気動車は関東鉄道に譲渡され、キハ5000形は「キハ751形」、キハ5100形は「キハ753形」として、いずれもロングシート・3扉化された(「小田急キハ5000形気動車#譲渡」を参照)。 直通用の電車は、5両連接車に改造した小田急のSSE車を充当することとなり、1968年7月1日からSSE車による直通運転が開始された。このときから、それまで列車別に設定されていた愛称が4往復とも「あさぎり」に統一された。号車指定制の座席定員制および、小田急乗務員が車両とともに御殿場まで乗り入れる仕組みはそのままであった。 1968年7月1日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。途中停車駅は松田駅・山北駅・駿河小山駅で、小田急線内は引き続き無停車だった。 特別準急「あさぎり」1号 2711M 新宿7時50分発→御殿場9時38分着 2712M 御殿場11時00分発→新宿12時38分着 特別準急「あさぎり」2号 2713M 新宿9時01分発→御殿場10時59分着 2714M 御殿場12時17分発→新宿13時48分着 特別準急「あさぎり」3号 2715M 新宿13時31分発→御殿場15時17分着 2716M 御殿場17時38分発→新宿19時17分着 特別準急「あさぎり」4号 2717M 新宿14時31分発→御殿場16時20分着 2718M 御殿場19時03分発→新宿20時30分着 ヨンサントオと呼ばれる1968年(昭和43年)10月1日のダイヤ改正では、準急という列車種別は急行に統合される形で廃止となったため、「あさぎり」も急行列車として運行されることになり、小田急線内では「連絡急行」という新しい種別となった。少し遡る1966年3月には九州を走る準急「あさぎり」が急行に格上げされており、同名の国鉄定期列車が異なる地区で運行する状態になっていた。 電車化により列車定員は気動車で運行していたときと比較して一挙に3倍に増加したものの、乗客数がそれに追いつかず乗車率が低い状態となっていた。このため、1971年10月1日からは、小田急線内の停車駅に新原町田駅が追加された。この当時すでに小田急線内では定期乗車券による特急乗車も認められていたが、「あさぎり」については定期乗車券での利用はできなかった。 ゴーサントオと呼ばれる1978年(昭和53年)10月2日のダイヤ改正では、列車愛称番号の方式変更に伴い、下り列車の号数は奇数に、上り列車の号数は偶数に変更された。 1981年7月13日改正ダイヤの列車時刻は以下の通りである。 下り連絡急行「あさぎり」1号 2711M 新宿7時45分発→御殿場9時28分着 連絡急行「あさぎり」3号 2713M 新宿9時40分発→御殿場11時18分着 連絡急行「あさぎり」5号 2715M 新宿13時11分発→御殿場15時01分着 連絡急行「あさぎり」7号 2717M 新宿15時11分発→御殿場16時45分着 上り連絡急行「あさぎり」2号 2712M 御殿場10時13分発→新宿12時02分着 連絡急行「あさぎり」4号 2714M 御殿場11時52分発→新宿13時32分着 連絡急行「あさぎり」6号 2716M 御殿場17時51分発→新宿19時34分着 連絡急行「あさぎり」8号 2718M 御殿場19時04分発→新宿20時42分着 1984年2月1日からは、全列車の停車駅に本厚木駅が追加されたほか、「あさぎり」1・6号に限り谷峨駅にも停車するようになった。多少のダイヤの変更はあったものの、「あさぎり」は基本的にはほぼ同様のダイヤパターンで運行された。夏季多客時や団体利用時には、SSE車を2編成連結した「重連」での運行もあった。 「あさぎり」に使用していたSSE車は耐用年数を10年として設計された車両で、1987年で車齢30年となるなど老朽化が進んでいたため、新型車両に置き換える案もあった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}しかし、当時の国鉄側の現場の反応などを考慮して、仕方なく車体修理を行った上で継続使用していた[要追加記述]。
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