1960年代 - 高密度通勤ダイヤの開始
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「小田急電鉄のダイヤ改正」の記事における「1960年代 - 高密度通勤ダイヤの開始」の解説
1960年3月25日改正と同時に百合ヶ丘駅が小田原線西生田駅と柿生駅の間に開業した。この頃からラッシュ時の混雑が激しくなっていたため、1960年11月の改正では、朝ラッシュ時の各駅停車に2400形などの加減速性能の高い車両を集中的に運用することで高速化を図り、従来の準急停車駅のうち和泉多摩川駅 - 喜多見駅間を通過する通勤準急の運行を開始することで、近郊区間の優等列車本数を倍増させる方策に出た。 1963年11月には、新宿駅の改良工事が一部を残して完成し、新宿駅の発着線が5線になったのを機に増発を実施している。この時に東北沢駅での朝ラッシュ時優等列車待避は行われなくなり、ピーク時1時間に30本の列車が運行される輸送力重視の平行ダイヤとなった。 1964年11月5日改正では、急行の8両編成化が実施され、日中の急行のほとんどが相模大野駅で分割・併合を行なうようになった。各駅停車には収容力を増大した新型電車として2600形が投入されている。通勤準急は準急に統合され、喜多見駅 - 和泉多摩川駅間は通過となった。日中には当時の急行停車駅に経堂・成城学園前・登戸を追加した快速準急の運行が開始された。この改正と同時に、江ノ島線急行の本鵠沼駅および鵠沼海岸駅の停車が開始されている。また、相模鉄道からの海老名駅 - 本厚木駅間直通運転は廃止となった。 1966年6月1日改正からは特急「さがみ号」が向ヶ丘遊園駅と新松田駅にも停車するようになった。 1966年11月7日改正と同時に湘南台駅が江ノ島線長後駅と六会駅間に開業した。急行の運転時間拡大による増発が図られ、江ノ島線の急行は毎時2本運転となった。また、朝ラッシュ時の準急の8両編成化が実施された。なお、この年には2600形6両編成に2200形2両を連結した8両編成の試運転が行なわれているが、実施は見送られている。 1967年11月改正ではさらに通勤時間帯の増発が行われ、朝ラッシュ時の急行・準急・各駅停車の本数が1:1:1となった。この時、各駅停車は優等列車を経堂駅で2本まとめて待避するようになった。 1968年7月1日からは、御殿場線の電化により直通列車についても電車化され、愛称も「あさぎり」に統一されることになった。これにともない、キハ5000形・5100形に代えて3000形SE車を5両編成に短縮改造した車両が登場した。同年10月には国鉄で準急という種別が廃止され、全て急行へ格上げされたのに伴い、小田急線内での種別は連絡急行となった。さらに11月には朝ラッシュ時の上りの通勤急行、準急の8両編成を各1本ずつ増発、通勤急行を下りにも運行。日中の快速準急を大型車の6両編成に変更。 1969年11月改正では、急行の大型8両編成化が実施された。登場したばかりの5000形を2編成連結した以外に、4000形6両編成に1800形2両を連結した編成でも運行された。
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