1960年代 黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:23 UTC 版)
「スティーヴ・ミラー・バンド」の記事における「1960年代 黎明期」の解説
1966年、サンフランシスコで活動を始めたスティーヴ・ミラーの呼びかけにより、ティム・ディヴィス(ドラムス)、ロニー・ターナー(ベース、ヴォーカル)、ジェイムズ・カーリー・クック(ギター)によって「スティーヴ・ミラー・ブルース・バンド」として結成。 1967年1月にバディ・ガイの前座でアヴァロンに出演、4月にフィルモアと云ったクラブに出演して人気を評す。6月のモントレー・ポップ・フェスティバルに出演してサンフランシスコのバンドに注目していたレコード業界の注目を受けクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスとともにキャピトル・レコードと契約。同年秋にインドなど海外でバックパッカーとして放浪していたボズ・スキャッグスがグループに参加してレコーディングに入る。 録音技師のグリン・ジョンズとロンドンで録音した、スティーヴ・ミラー・バンド名義によるデビュー・アルバム『未来の子供達』はBillboard 200では134位に終わったが、アンダーグラウンド・ラジオで評判を呼び、再びグリン・ジョンズとロスアンジェルスで録音した次作『セイラー』が24位を記録した。マーティン・ルーサー・キングやロバート・ケネディが暗殺された後にリリースしたシングル「Living in U.S.A.」が国内でヒットとなる。 1969年、ボズ・スキャッグスがグループを抜けて3人になったバンドはベン・シドランを迎えて3rdアルバム『すばらしき新世界』を録音する。マスター・テープをグリン・ジョンズのいるロンドンに持ち運んだ日、オリンピック・スタジオでビートルズのメンバーに出会う。ポール・マッカートニーとジョン・レノンがアルバム『ゲット・バック』のヴォーカルのダビングをしていて、翌日再び訪れた際にポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンとセッションを行う。ハリスンが帰宅した後マッカートニーがドラム、ベース、ヴォーカルを担当した「My Dark Hour」を録音する。 同年にはニッキー・ホプキンスとともに4thアルバム『ユア・セイヴィング・グレイス』をリリースするほか、後述の1986年のアルバム『Living in the 20th Century』にはポールがゲスト参加するなど、友好関係を築く。
※この「1960年代 黎明期」の解説は、「スティーヴ・ミラー・バンド」の解説の一部です。
「1960年代 黎明期」を含む「スティーヴ・ミラー・バンド」の記事については、「スティーヴ・ミラー・バンド」の概要を参照ください。
- 1960年代 黎明期のページへのリンク