1960年代後半〜1970年代:ニクソンの再挑戦
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「1960年代後半〜1970年代:ニクソンの再挑戦」の解説
1960年代、ベトナム戦争は泥沼化、都市部では公民権運動や反戦運動がしばしば暴動に発展し、南部では公民権法や人種統合政策(英語版)に反発して民主党員が離反、そしてジョンソン大統領の「偉大なる社会」政策によってニューディール時代がよみがえるという希望も打ち砕かれ、ニューディール連合は崩壊した。1968年の大統領選挙では、再挑戦をかけて出馬したニクソンが、旧来は民主党の地盤であった南部諸州の白人保守層の取り込みを狙い、「南部戦略」を積極的に推し進めた。急速に都市化の進む南部の都市部およびその近郊の保守層・中道層に向けて、ジョンソンの「偉大なる社会」政策を批判し、公民権問題に関しては州政府への連邦政府の介入を防ぐとし、暴徒化する公民権運動や反戦運動を引き合いに、法と秩序の回復を訴えたのである。結局、民主党内の分裂にも助けられて、ニクソンは民主党のヒューバート・ハンフリーと、人種隔離政策を掲げる元民主党のジョージ・ウォレスに勝利した。民主党内の混乱は継続し、1972年の大統領選挙では反戦派のジョージ・マクガヴァンが候補に指名されたが、選挙活動の足並みも揃わず、ニクソンが49州を獲得するという大勝利で再選された。 しかし、ウォーターゲート事件の発覚によりニクソンの名声は地に落ち、1974年には辞任に追い込まれた。長い時間をかけて共和党が取り戻しつつあった優勢はこのスキャンダルによって一旦中断された。ニクソンの後任ジェラルド・フォードはニクソンに恩赦を与え、民主党に格好の攻撃対象を提供した。スキャンダル批判を武器に、民主党は1974年の中間選挙で勝利した。フォードは完全に勢いを取り戻すことはできず、1976年の大統領選挙では、共和党大会でロナルド・レーガンを破るのがやっとだった。本選挙では、ウォーターゲート事件の余波と経済危機を追い風に、ワシントンずれしていない新参者というイメージを全面に出した民主党のジミー・カーターが勝利し、議会選挙でも民主党が大勝した。
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