1960年代前半:ゴールドウォーターと共和党の保守化とは? わかりやすく解説

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1960年代前半:ゴールドウォーターと共和党の保守化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:30 UTC 版)

アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「1960年代前半:ゴールドウォーターと共和党の保守化」の解説

ニクソンアイゼンハワーの後を継いで1960年大統領選挙出馬したが、僅差民主党ジョン・F・ケネディ敗れた中道派党内上手くまとめてきたニクソンが力を失ったことで、穏健派革新派)と保守派党内対立が再び激化し1964年大統領候補指名選挙の場で正面から激突した1960年代以降共和党穏健派取りまとめていたのは、ニューヨーク州知事ネルソン・ロックフェラーで、穏健派メディアからしばしばロックフェラー・リパブリカン呼ばれたロックフェラー1959年から74年までニューヨーク州知事勤め多く信奉者集めていた。ロックフェラー・リパブリカンは、穏健または革新的な国内および社会政策主張した公民権運動を非常に強く支持し規制公的扶助制度含めてニューディール政策支持しつつも、自分たちのほうがより効率よく政策実行できる主張したロックフェラーは働くことのできる生活保護受給者には、何でもよいから職に就くか職業訓練を受けることを要求した一方宗教禁酒などの社会問題はもはや高い優先順位持っていなかった。財政政策では予算均衡英語版)を主張し、その維持のために比較高率税制支持した減税ではなく起業家精神英語版)[要リンク修正]を通して長期的な経済成長模索していたのである外交政策では国際主義であり、また反共主義だった。共産主義対抗するための最善方法は、対外援助通じて経済成長促し、強い軍事力維持しNATOとの緊密なつながり維持することだと考えていた。州レベル政策では、州立大学強く支持し低廉授業料潤沢な研究予算主張した高速道路網整備のようなインフラストラクチャー強化支持した地理的には、ペンシルベニア州からメイン州までの北東部支持基盤としていた。大企業銀行支持を受け、特にウォール街ニューヨーク市)の大企業から強い支援受けていた。同時に労働組合とも良好な関係を築いていた。 対す保守派率いたのは、アリゾナ州選出バリー・ゴールドウォーター上院議員であった共和党保守派ニューディール政策強く反対し、減税公的扶助制度縮小等、小さな政府主張した外交政策では孤立主義封じ込め政策否定したが、国連反対し、攻撃的な反共政策提唱した地理的に中西部から西部支持基盤にしており、1950年代からは南部でも支持伸ばした。そして、歴史的に党の主導権握ってきた北東部穏健派を「東部体制側」と呼んで激しく攻撃した1964年の大統領選挙向けてロックフェラーとゴールドウォーターは共に指名獲得目指し立候補した争い激しかったが、最大の州カリフォルニア予備選挙において、ロックフェラー再婚を巡るスキャンダル影響から、僅差でゴールドウォーターがロックフェラー勝利しロックフェラー予備選挙から撤退した本選挙では民主党現職大統領リンドン・ジョンソン大敗し議会選挙でも全国的に共和党古参議員多く敗北した。しかし、長らく民主党牙城であったディープサウス保守的な南部)で民主党からの離反進んだことから、南部ではゴールドウォーターが5つの州を獲得するという、共和党としては1872年以来最大勝利を上げた選挙後も、民主党リベラル色を強めていった影響もあり、共和党内では次第保守派台頭し穏健派弱体化していった。ロックフェラー1968年にも大統領候補目指したが、リチャード・ニクソン敗れた中道派ニクソン大統領は、穏健派政策多く、特に医療社会福祉への支出環境保護芸術人道支援などの政策採用したロックフェラーニクソン辞任後74年から77年までジェラルド・フォード大統領副大統領務めたが、フォード退任とともに政界引退したロックフェラー引退後穏健派は「穏健派共和党員」と呼ばれることが多くなり、一方保守派ロナルド・レーガン元に集結していった。穏健派のうち、チャールズ・グッデル(英語版上院議員ニューヨーク市ジョン・リンゼイ市長などは民主党移籍しその他の多く次第引退余儀なくされた。1980年イリノイ州ジョン・Bアンダーソン英語版下院議員共和党離党しレーガン対抗して無所属候補として大統領選挙出馬したのを最後に共和党内のリベラル派消えていった。かつて彼らが支配した北東部は、今ではほとんど民主党地盤となっている。 穏健派衰退一因として集団頭でっかちなだったことを指摘する声もある。穏健派には、よく目立つ国政レヴェル幹部の数に比べて草の根活動するメンバー不足していた。何より保守派のように大衆熱狂的支持集める力を欠いていた。穏健派にとって保守派かきたてようとする熱狂反アメリカ的に感じられた。ロックフェラーの上補佐官であったダグ・ベイリー(英語版)は次のように回想している。「(ロックフェラーの)選挙スタッフ内には、『いいかい、我々はこんなに金を持っている。これを成し遂げるのに必要な人間買えるはずなんだ。上から順番買えばいい』というような意識があった。」ベイリーによればロックフェラー陣営は、効果的な政治組織トップダウンではなくボトムアップ式に力を獲得するものだということを、最後まで理解しなかった。

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