1972年の大統領選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 01:55 UTC 版)
「ジョージ・マクガヴァン」の記事における「1972年の大統領選挙」の解説
1972年の大統領選挙におけるマクガヴァンの選対本部長は後に上院議員となり有力大統領候補と目されるも女性スキャンダルで失脚したゲーリー・ハートである。マクガヴァンの公約はベトナムからの米軍の即時撤退とそれを引き換えとする捕虜の返還、および脱走兵に対する恩赦をうたっていた。この「反戦公約」は、すでに1970年のマクガヴァンが提出者の一人であった、戦争開始の際に議会の同意を求める法改正に予兆が現れていた。 マクガヴァンのほかの公約では、3年間に37%の軍事支出の削減、全国民に対する1000ドルの給付(これは6500ドルの最低収入制度の創設に切り替えられた後に公約から外された)、憲法への「平等条項(Equal Rights Amendment)」の挿入というものがあった。 選挙運動中、民主党副大統領候補のトーマス・イーグルトンがうつ症状の電気ショック療法を受けていることが判明し、得票への影響を懸念したマクガヴァンはイーグルトンを降板させサージェント・シュライバーと交代させた。マクガヴァンは多くの有権者から極端な立場とみなされ、特に従来資金や影響力の面で民主党を支えていた民主党支持の上流階級の支持を取り付けることが困難であった。 本選挙では現職のニクソンに得票率で60-38%(獲得選挙人数で520-17)の敗北を喫したが、これは当時史上2番目の大差であった。マクガヴァンへの投票が上回ったのはマサチューセッツ州とワシントンD.C.だけであり、地元のサウスダコタにおいても及ばなかった。
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