第37代アメリカ合衆国大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)
「リチャード・ニクソン」の記事における「第37代アメリカ合衆国大統領」の解説
1969年1月20日、ニクソンは大統領に就任した。就任当時はベトナム戦争に対する反戦運動が過激化しており、学生を中心とした過激な「反戦運動」を嫌う多数派と保守層が、ニクソンの掲げた「法と秩序」のキャッチフレーズを支持した上、ジョンソン政権下で泥沼化していたベトナム戦争からの早期撤退を公約したことで、戦争終結を求める反戦志向の無党派の票も獲得した。 就任後は国務省を遠ざけ、官僚排除、現実主義、秘密主義外交を主とするホワイトハウス主導の積極的な外交を展開し、国家安全保障担当大統領補佐官ヘンリー・キッシンジャーと共に、ベトナム戦争からのアメリカ軍の撤退を図り、戦後続いたアメリカによる自由世界の警察官としての役割でなく、経済成長が著しい日本や西欧各国の連携を深め、なおかつ北ベトナムと微妙な関係にある中華人民共和国との接近を図った。 当時の状況としては、戦後の東西対立が激しい時代であったトルーマン政権の「封じ込め政策」から、一時アイゼンハワー政権で東西の緊張緩和が進み、ケネディ政権ではキューバ危機以後に米ソ間でのデタントが進んで、欧州では米ソ協調の時代に入っていた。しかし一方アジアでは依然中華人民共和国との厳しい対立が続き、ベトナム戦争への介入で硬直したアジア外交であったジョンソン政権の失敗を教訓に、中華人民共和国との外交関係の樹立に動いた。この中華人民共和国との関係改善が、対北ベトナム関係のみならず、対ソ関係でもアメリカに優位な位置を築き、第一次戦略兵器制限条約などの成立に繋がる。これらの外交における大きな功績のみならず、思い切った保護主義で衰退期に入ったアメリカ経済をアメリカ主導でドル切り下げと他国通貨の切り上げを行うなどの経済面でも高い評価を受け、1972年の大統領選挙には地滑り的な大勝利を挙げて再選される。 また内政的には、当時の環境保護運動の盛り上がりを受けてのアメリカ環境保護局 (EPA) の設置、麻薬戦争を掲げた麻薬取締局 (DEA) の設置など、主に環境対策面や麻薬対策で一定の功績を残していることもあり、近年はその功績が見直されている。
※この「第37代アメリカ合衆国大統領」の解説は、「リチャード・ニクソン」の解説の一部です。
「第37代アメリカ合衆国大統領」を含む「リチャード・ニクソン」の記事については、「リチャード・ニクソン」の概要を参照ください。
- 第37代アメリカ合衆国大統領のページへのリンク