リバタリアニズムへのランドの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 05:30 UTC 版)
「オブジェクティビズムとリバタリアニズム」の記事における「リバタリアニズムへのランドの影響」の解説
アメリカ合衆国のリバタリアン党が1972年の大統領選挙に初めて立てた候補者であるジョン・ホスパーズ(英語版)は、自身の政治信条を形成する上でランドから大きな影響を受けたと述べている。ケイトー研究所のエグゼクティブ・バイス・プレジデント、デヴィッド・ボアズ(David Boaz)は、ランドの作品を「間違いなくリバタリアンの伝統に位置づけられる」と評した上で、「彼女の極論やカルト的崇拝者たちに引いてしまったリバタリアンもいる」と述べた。ミルトン・フリードマンは、ランドを「多大な善を為した、徹底的に不寛容で教条主義的な人物」と評した。マレー・ロスバードは、「ランドの思想には基本的に同意しないが、自分が自然権の理論を確信するようになったのはランドの影響だ」と述べた。後にロスバードは、ランドを激しく批判するようになった。『アイン・ランド・カルトの生態学』(The Sociology of the Ayn Rand Cult)で、ロスバードは次のように書いた。 理性と個人主義を信奉すると言明するリバタリアンといえども、宗教運動のみならず大多数のイデオロギー運動に浸透しているあのカルト的神秘主義・全体主義を免れないということ―リバタリアンにとってはこれこそが、あの(オブジェクティビズム)運動の歴史から得られる重要な教訓である。一度感染したことで、今やリバタリアンはこのウイルスに対する免疫を獲得したと信じたい。 オブジェクティビズムは各種思想問題でランド自身が取った立場に制限されるものではなく、リバタリアニズム運動とも協働・共鳴し得る、と主張するオブジェクティビストもいる。オブジェクティビストとリバタリアンの関係をめぐる見解の不一致からアイン・ランド協会を離脱したデヴィッド・ケリー (David Kelley)や、クリス・シャバラ(Chris Sciabarra)、ナサニエル・ブランデン(Nathaniel Branden)のかつての妻バーバラ・ブランデン(Barbara Branden)などが、特にこの立場を明確にしている。ケリーが設立したアトラス・ソサイエティは、「開かれたオブジェクティビズム」(Open Objectivism)とリバタリアニズム運動の関係強化に注力している[要出典]。
※この「リバタリアニズムへのランドの影響」の解説は、「オブジェクティビズムとリバタリアニズム」の解説の一部です。
「リバタリアニズムへのランドの影響」を含む「オブジェクティビズムとリバタリアニズム」の記事については、「オブジェクティビズムとリバタリアニズム」の概要を参照ください。
- リバタリアニズムへのランドの影響のページへのリンク