1972年の政治犯虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 08:16 UTC 版)
1972年、トレレウは囚人虐殺の舞台となった(トレレウの虐殺(英語版))。州都ラウソンの連邦刑務所にはアルトゥーロ・イジア(英語版)大統領の打倒に続く軍事独裁政権に反対した者が収容されていたが、1972年8月15日、110人の囚人が集団で脱走して警備員1人を殺害し、約100人が飛行機での逃亡を企てた。囚人グループのひとつは飛行機を奪ってチリまで安全に飛ぶことに成功したが、残りの囚人は当局に屈して軍事刑務所に戻され、8月22日にトレレウの空軍基地で16人が射殺された(3人が生き残った)。トレレウの町全体がアルゼンチン軍による捜索を受け、地元住民が捕えられてブエノスアイレスのビジャ・デボート刑務所に収容された。ほとんど町全体が軍に対する反対運動を起こし、収容された市民の釈放に成功した。
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