SE・NSE時代(1957年 - 1980年)
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1957年(昭和32年)6月27日:3000形SE車展示会を実施。 7月6日:3000形SE車就役。 9月20日 - 28日:3000形SE車が国鉄へ貸し出されて高速走行実験を実施。中でも27日には東海道本線函南駅 - 沼津駅間で当時の狭軌世界最高速度である145km/hを樹立している。 1958年(昭和33年)1月29日:3000形SE車が1958年第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。 1963年(昭和38年)3月3日:3000形SE車による臨時スケート特急「白銀号」を運行。 3月16日:小田急ロマンスカー史上初の展望席設置列車として3100形NSE車就役。またこれに先立ち同月13日 - 15日には展示会を実施。 春:小田急百貨店の夏の商戦の一環として3100形NSE車車内にて水着ショーを実施。 11月:3000形・3100形とも小田原線内の営業最高速度を110km/hに引き上げるダイヤ改正を実施。新宿駅 - 小田原駅間は最速62分となる。 1964年(昭和39年)1月17日・26日:皇太子明仁親王・同妃美智子が新宿駅 - 箱根湯本駅間を往復乗車。 2月17日 - 21日・24日 - 28日・3月2日 - 6日:3100形NSE車が6両編成にて運行される(通常は11両編成)。 3月20日、新宿駅 - 片瀬江ノ島駅間で「えのしま」が休日に限り定期運行を開始(途中停車駅は藤沢)。 7月10日:3100形NSE車が1964年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。 1965年(昭和40年) 3月1日:「えのしま」の毎日運転開始。 1966年(昭和41年)4月1日:すべての特別急行列車の列車無線使用開始。 6月1日:新宿駅 - 箱根湯本駅間で「さがみ」運転開始(途中停車駅は向ヶ丘遊園・新松田・小田原)。同時に新宿駅 - 小田原駅間無停車の特急に対して「はこね」と名付けられる。 1967年(昭和42年)6月23日:特急列車に定期券による乗車を認める。 7月2日:3000形SE車の御殿場線乗り入れ用の5両編成化工事実施( - 1968年3月29日)。 10月1日:新宿駅 - 箱根湯本駅間で「あしがら」運転開始(途中停車駅は新原町田〈現・町田〉・小田原)。 1968年(昭和43年)6月3日:特急料金に小児制度が制定される。 6月30日:御殿場線の電化に伴いキハ5000形・5100形による連絡準急行廃止。不要となった両形式は関東鉄道へ売却。 7月1日:3000形SE車による御殿場線直通の運転開始。同時に列車種別が「連絡準急行」から「連絡急行」となり、連絡急行料金制度を制定し、連絡準急行料金廃止。 1969年(昭和44年)1月1日:新宿駅 - 新原町田駅で臨時特急「初詣号」が1往復運行される(途中停車駅は参宮橋と向ヶ丘遊園)。以後、毎年初詣客向けの特急が運行されるようになる。 1972年(昭和47年)8月24日:沿線に居住していた英国人教師より「補助警報音は騒音公害源である」とする抗議を受け、相模大野駅以東での使用が禁止となる。 1979年(昭和54年)2月27日:特急券の座席予約・販売にオンラインシステムを導入。
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