平成皇位継承時
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儀式名日時場所備考剣璽等承継の儀 昭和64年(1989年)1月7日10時 皇居正殿松の間 昭和64年(1989年)1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御。これを受けて、皇太子明仁親王が践祚した。 賢所の儀 10時 皇居宮中三殿 掌典長が八咫鏡に代拝、御告文を奏した。なお、前例により、翌8日、9日にもそれぞれ同儀が繰り返された(御告文はなし)。 皇霊殿神殿に奉告の儀 10時 皇居宮中三殿 賢所に準じて行われた。なお、前例により、翌8日、9日にもそれぞれ同儀が繰り返された(御告文はなし)。 即位後朝見の儀 平成元年(1989年)1月9日11時 皇居正殿松の間 賢所に期日奉告の儀皇霊殿神殿に期日奉告の儀 平成2年(1990年)1月23日11時 皇居宮中三殿 天皇自ら御告文で即位礼および大嘗祭の期日を奉告した。 神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀 14時 皇居正殿竹の間 神宮に奉幣の儀 1月25日7時14時 神宮外宮神宮内宮 神武天皇山陵に奉幣の儀 1月25日9時45分 神武天皇陵 昭和天皇山陵に奉幣の儀 9時45分 昭和天皇陵 孝明天皇山陵に奉幣の儀 9時45分 孝明天皇陵 明治天皇山陵に奉幣の儀 13時45分 明治天皇陵 大正天皇山陵に奉幣の儀 13時45分 大正天皇陵 斎田点定の儀 2月8日10時 神殿前斎庭 今回、大嘗祭を前回までの京都から東京に変更されたため、東日本と西日本の境界線も変更、新潟、長野、静岡の3県を含む東側18都道県を東日本、それより西29府県を西日本として扱った。また、祭具の入手が困難であったため方法の変更も検討されたが、最終的に先例にのっとった方法で行われた。亀卜の結果、悠紀国は秋田県、主基国は大分県となった。 大嘗宮地鎮祭 8月2日10時 皇居東御苑 大嘗祭を新たに東京都で行うにあたり、大嘗宮造営地を皇居東御苑(江戸城本丸御殿跡地)に決定。造営に先立ち、樹木数本を移植、整地を行った。 斎田抜穂前一日大祓 9月27日15時(悠紀)10月9日15時(主基) 斎田付近の河川敷 斎田抜穂の儀 9月28日10時(悠紀)10月10日10時(主基) 斎田 今回は斎田の決定が遅れたため、一部の施設は天幕張りとせざるを得なかった。また、大分県の稲の収穫は通常10月下旬であったが、この年は大嘗祭に供する都合上、時期を繰り上げて耕作を行った。 悠紀主基両地方新穀供納 10月25日9時20分 大嘗宮斎庫 斎庫は他の施設よりも先に完成させた。 即位礼当日賢所大前の儀 11月12日9時 皇居宮中三殿 場所が先例(京都御所)と異なることを勘案し、庭上奉仕者を省いた。 即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀 9時 皇居宮中三殿 先例では天皇は京都にいるため、勅使が御祭文を奏上していたが、今回は天皇自らこれを行った。 即位礼正殿の儀 13時 皇居正殿松の間 先例の京都御所紫宸殿とは構造が異なるため、以下の変更等が行われた。天皇・皇族の出御および還御の動線が変更された。 高御座および御帳台を近接させたため、左右の階段が外された。 正殿前庭に装飾及び参列者が入りきらないため、前庭に面する春秋の間、豊明殿の中に座席を増設した。 祝賀御列の儀 皇居-赤坂御所 新たに設けられた儀式。この時期、天皇・皇后は即位前の東宮御所(赤坂御用地内、即位後は「赤坂御所」)に引き続き居住しており、執務などのたびに皇居との間を往復していた。この即位礼以降も一旦赤坂御所へ戻ることになっており、多くの国民が奉祝・見送りに道中に現れることが想定されたため、単なる移動でなく、パレード形式での移動とすることとした。このため、経路を通常の往復時と変更させたうえで、皇太子や内閣総理大臣などを含む大規模な車列を組み、通常の車列よりも低速度で移動した。結果、奉祝者は約12万人に上った。また、東京都は沿道および中央分離帯に菊花1万株を植えた。 即位礼後一日賢所御神楽の儀→ 実施せず 即位による臨時の御神楽であったが、先例を検討した結果、八咫鏡が東京から京都へ渡御したことに伴う儀式であったため、今回は渡御は行われていないことにより、本儀は行われないこととなった。 饗宴の儀 11月12日より 皇居正殿 従来、即位礼に伴う宴は大嘗祭の後に「大饗の儀」行われていたが、今回は即位礼から大嘗祭までの期間が10日と長く、即位礼に列席した各国要人は大嘗祭前に帰国してしまうため(昭和大礼時は即位礼から大嘗祭まで4日で、外国要人はその間、京都滋賀周辺で政府のもてなしを受けていた)、引き続き行われる大饗の儀とは別に、新たに設けられた。計7回。 外国国王王族との会見 11月13日10時 赤坂御用地内 天皇・皇后および一部皇族が赤坂御所鶴の間において、国王およびその配偶者と挨拶、次いで桧の間で歓談した。同時刻、皇太子徳仁親王および一部皇族が東宮仮御所西の間において、その他の王族と挨拶、歓談した。 園遊会 14時30分 赤坂御苑 祝賀使節を招いて行われた。 内閣総理大臣夫妻主催晩餐会 18時 都内ホテル 海部俊樹内閣総理大臣夫妻の主催による晩餐会が行われた(天皇・皇后ほか皇族は出席せず)。 神宮に勅使発遣の儀 11月16日10時 皇居宮殿竹の間 一般参賀 11月18日 宮殿東庭 午前3回、午後5回。参賀者は、皇宮警察発表で10万9800人。 大嘗祭前二日御禊 11月20日14時 宮殿竹の間 大嘗祭前二日大祓 15時 皇居二重橋鉄橋付近 通常の大祓は神嘉殿前庭で6月30日と12月31日に行われているが、先例を考慮の上で場所が選ばれた。 大嘗祭前一日大嘗宮地鎮祭 11月21日14時 大嘗宮 大嘗祭前一日鎮魂の儀 17時 綾綺殿(宮中三殿構内) 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀 11月22日7時30分14時 神宮外宮神宮内宮 大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀 9時45分 宮中三殿 大嘗宮の儀 22日夕-23日未明 大嘗宮 大嘗祭後一日大嘗宮鎮祭 11月24日8時30分 大嘗宮 大饗の儀 11月24日、25日 皇居豊明殿 即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀 11月27日10時30日28日10時 神宮外宮神宮内宮 天皇、皇后は11月26日に伊勢へ行幸した。 即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵に親謁の儀 12月2日10時50分 神武天皇陵 即位礼及び大嘗祭後孝明天皇山陵に親謁の儀 14時10分 孝明天皇陵 即位礼及び大嘗祭後明治天皇山陵に親謁の儀 12月3日10時30分 明治天皇陵 茶会 14時 京都御所 京都での即位礼斎行への要望が多かったことから、天皇・皇后の京都滞在中にあわせて行われた。 即位礼及び大嘗祭後昭和天皇山陵に親謁の儀 12月5日11時 昭和天皇陵 即位礼及び大嘗祭後大正天皇山陵に親謁の儀 11時40分 大正天皇陵 即位礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀 12月6日10時 皇居宮中三殿 即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀 16時30分 皇居宮中三殿 大嘗祭後大嘗宮地鎮祭 平成3年(1991年)2月14日10時 大嘗祭址 なお、大嘗宮は1990年11月29日から12月16日まで一般の参観を許可したのち、壊却、古材は適宜処理された(先例では鴨川河原にすべて運んで奉焼していたが、現行法規ではできないため一部の主要部分の材木を選び、2月4日に奉焼した)。
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