山梨実験線
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総距離 - 42.8 km 最急勾配 - 40 ‰ 最小曲線半径 - 8,000 m 最小曲線区間には、約10度のカントがつけられている。より実用的な試験のため実験センターには長さ80 mのプラットホームと乗降設備が整っている。18.4 kmの先行区間から、より実用的な試験に対応するため42.8 kmに延伸した(18.4 kmの先行区間を500 km/hで走行したとすると2分程度で終端まで達してしまう)。先行区間では、一般の人が試乗で時速500 kmを体感することができる。 変電所は現在、実験センターに隣接して設置されているが、延伸後は2か所となる予定である。
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山梨実験線
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宮崎実験線での成果と、それに関する1987年(昭和62年)の運輸大臣・石原慎太郎の発言を受けて、1988年(昭和63年)から運輸省が超電導磁気浮上式鉄道検討委員会(委員長: 東京大学教授・松本嘉司)を発足させて、新実験線において必要とされる技術開発要素と、そのために実験線に必要とされる要件を定めた。 委員会では、500 km/hで走行する時間が3分間は必要だと判断し、500 km/hまでの加速・減速に必要な距離を考慮すると、新実験線の延長は40 km程度が必要であると決定した。その上で、将来的に長距離の高速鉄道を目指すならば、急勾配区間やトンネル区間での試験は不可欠であるとして、実験線がそういった条件を含むこと、40 km程度の実験線建設には巨額の経費が必要であることから、実験線を将来的に営業線に転用できる見込みがあること、地元が用地買収等に協力すること、などを実験線の位置選定方針として定めた。 1987年(昭和62年)10月に国土庁が超電導リニアの技術開発に関する全国調査を行い、これに取り組む意思があると表明した全国18の道府県が、実験線の候補地とされた。 この時期に路線の構想があったのは、後述の3箇所の他、大宮 - 成田空港(埼玉県、茨城県、千葉県)、小千谷 - 柏崎 - 上越(新潟県)、北九州 - 宮崎 - 鹿児島(福岡県、大分県、宮崎県、鹿児島県)のルート。 そして1989年(平成元年)2月の委員会で、北海道(札幌市-千歳市間)・山梨・宮崎の3箇所に候補地が絞られた。最終的に同年8月の委員会で、将来的な中央新幹線への転用の可能性を考慮して、山梨県が実験線の場所として選定された。山梨が選定された理由としては、トンネル走行実験の必要性も挙げられている。なお北海道は札幌と新千歳空港を結ぶ空港連絡鉄道に転用できる、積雪・寒冷地実験が可能であるというメリットがあった。 検討の過程で、石原運輸大臣は北海道に肩入れしていたが、山梨への誘致には元自民党副総裁である金丸信が大きな役割を果たしたとされる。山梨県は、134億円の無利子貸し付けおよび工事に際して発生した残土の廃棄場など総額200億円ほどの支出を行った。 1990年(平成2年)11月に、山梨実験線が着工された。しかし用地取得などが難航したことから、1992年(平成4年)7月になって、全区間42.8 kmのうち、中間部分の18.4 kmを先行区間として、この部分のみを完成させることになった。1996年(平成8年)7月に、超電導磁気浮上式鉄道山梨実験センターが開所し、11月からは牽引車両が牽引する形で、MLX01の走行試験が始まった。 翌1997年(平成9年)から本格的な走行実験が行われた。車輪での走行実験から着手し、続いて浮上式の実験を開始し、次第に加速していき、年内に有人で531 km/h、無人で550 km/hの記録を達成した。これにより、宮崎実験線で持っていた記録を有人・無人ともに上回り、さらに磁気浮上式鉄道で有人走行の最高記録であったドイツのトランスラピッドの記録や、鉄道で有人走行の最高記録であったフランスのTGVの記録も上回って、鉄道の世界最高速度記録となった。 山梨実験線では、宮崎実験線で行えなかった実験に取り組んでいる。複線となったことを利用して超高速列車同士のすれ違い実験を実施しており、1998年(平成10年)12月には相対速度966 km/h、1999年(平成11年)11月には1,003 km/h、2004年(平成16年)11月には1,026 km/hを達成している。またトンネル区間を利用して、トンネル内の圧力変動や車両への影響を評価している。宮崎実験線では電力変換所は1箇所のみであったため、変換所間でのわたり試験は模擬的なものしか実施できなかったが、山梨実験線では2つの電力変換施設(所在地は1箇所)を設置しており、この間での列車の受け渡し実験を行っている。また複数列車の同時制御試験や実験センターに設置された待避線を利用した追い越し試験も行っている。 2005年(平成17年)3月には、国土交通省超電導磁気浮上式鉄道実用技術評価委員会により実用化のめどが立ったとの評価を受け、2007年(平成19年)1月には実験線の先行区間以外の区間(一般区間)への延長工事に着手した。 1998年5月より抽選による無料試乗会が不定期に行われていたが、技術開発や工事への専念を理由に2007年(平成19年)4月をもってこれを一旦終了した。9年間実施された試乗会では、関係者と一般あわせて14万人以上が参加していた。その後、2014年11月から体験乗車を再開した。 2006年(平成18年)4月27日、山梨実験線の全線(上野原市 - 笛吹市)を完成させることがJR東海から発表され、2008年5月30日に着工し、2013年8月29日から全線で走行試験が開始された。
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