山梨岡神社の夔神像と日本の夔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 23:38 UTC 版)
山梨県笛吹市春日居町鎮目に鎮座する山梨岡神社には、一本脚の神像が伝わっており、「山海経」に登場する夔(キ)の像として信仰を受けている。10年に一度(現在では7年に一度)4月4日に開帳され、雷除け・魔除けの神として信仰されている。 夔神像に関する記録は、荻生徂徠(おぎゅう そらい)の『峡中紀行』が初出とされる。甲府藩主・柳沢吉保の家臣である荻生徂徠は宝永3年(1706年)に吉保の命により甲斐を遊歴し、山梨岡神社にも足を運んでいる。この時、徂徠が山梨岡神社に伝来していた木像を「夔」に比定し、以来夔神(きのかみ)としての信仰が広まったと考えられている。夔神の来由を記した中村和泉守『鎮目村山梨岡神社夔神来由記』(慶応2年(1866年)、山梨県立博物館所蔵)によれば、江戸後期には夔神像に関して、天正年間に織田信長軍が山梨岡神社に乱入した際に疫病によって祟ったというような霊験譚が成立している。夔神信仰は江戸後期の社会不穏から生じた妖怪ブームにも乗じて広まったと考えられており、夔神の神札が大量に流通し、江戸城大奥へも献上されている。 明治初期には山中共古『甲斐の落葉』において紹介され、夔神像は欠損した狛犬の像が「山海経」の「夔」と結びつけられたものであると考えられている。 また、山梨県では山の神に対する信仰や雨乞い習俗、雷信仰などの山に関する信仰、神体が一本脚であるという伝承がある道祖神信仰が広く存在し、夔神信仰が受け入れられる背景にもなっていたと考えられている。 このほか、『古事記』に出てくる一本足(という読みもある)の神久延毘古の「クエ」という音は、夔の古代中国での発音kueiと似ており、関連がある可能性がある(加藤徹『怪力乱神』中央公論新社 96頁)。また水木しげるは、日本の一本足の妖怪「一本だたら」「山爺(やまちち)」と夔の類似性を指摘している(平凡社ライブラリー『山海経』解説「日本に渡った精霊たち」)。
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