安定期間から深夜放送長期低落傾向へとは? わかりやすく解説

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安定期間から深夜放送長期低落傾向へ(1986年 - 1999年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:54 UTC 版)

オールナイトニッポン」の記事における「安定期間から深夜放送長期低落傾向へ(1986年 - 1999年)」の解説

1980年代中盤以降、約10年間はライバルであるTBSラジオ深夜番組定着せず迷走し、また文化放送も『ミスDJリクエストパレード以降長らく深夜放送力を入れなかったことから、「若者向け深夜放送=オールナイトニッポン」という図式が一番確立していた時代でもある。 1985年足掛け12年わたった鶴光オールナイト終了しその後ABブラザーズ圭修土曜お笑い枠引き継いだが(ABブラザーズ時代1986年4月より土曜2部制に移行)、1988年からはニューミュージック大御所松任谷由実土曜1部担当し1999年まで長期にわたる活躍をすることになる。 1986年10月1日には20年突入記念して『ALL DOGETHER NOW(オール・ドゲザー・ナウ)』という特別番組放送され中島みゆきとんねるず小泉今日子ビートたけしサンプラザ中野ABブラザーズ当時1部パーソナリティ6組一堂会した(公式には1985年6月15日開催国立霞ヶ丘競技場陸上競技場での「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」のスピンオフ企画とされ、DOGETHERは「TOGETHER」と「土下座」の掛け言葉とされる)。 1980年代半ばから1990年代初頭にかけてはバンドブーム沸き起こりオールナイトパーソナリティ人選にもその影響次第現れてくる。1部ではサンプラザ中野デーモン小暮大槻ケンヂ木根尚登などが、2部では渡瀬マキLINDBERG)・寺田恵子SHOW-YA)・AYAKOPINK SAPPHIRE)・川村かおりTHE東南西北などが活躍しブーム一端を担うことになる。続く1990年代前半電気グルーヴYUKIJUDY AND MARY)、吉井和哉THE YELLOW MONKEY)、大江千里小沢健二スチャダラパーEAST END×YURIなどの有名どころから、コアなファンが多い加藤いづみ石川よしひろまで幅広い層のパーソナリティ輩出したお笑いパーソナリティ1985年火曜1部とんねるず登場、さらに1989年には金曜1部ウッチャンナンチャン登場する落語家弟子であった伊集院光水曜金曜2部活躍し一気にラジオスターとしての頭角見せたのもこの頃である。1980年代駆け抜けビートたけし途中代役立てながら1990年まで番組継続したが、その後たけし軍団浅草キッドなども担当1993年松村邦洋が、そして1994年には、2014年9月まで長期渡りパーソナリティ務めたナインティナイン登場する2014年10月2日から2020年5月7日岡村隆史単独担当し2020年5月14日から第2期として放送開始となった)。 また、この時代には1970年代迷走期とは違った意味で、別業パーソナリティ投入した時代でもある。トップアイドルだった小泉今日子水曜1部登場したのは1986年その後も、女性アイドル担当番組裕木奈江穴井夕子など散発的に見受けられる様になった。他に、劇団第三舞台』を主宰していた鴻上尚史雑誌週刊プレイボーイ編集者小峯隆生漫画家さくらももこなど。極め付き1992年開催された『全日本パーソナリティ選手権優勝者素人であった浪人生松永並子&北原ゆき水曜2部起用したことである(前述穴井夕子は、この2人受験勉強のために休んだ間の6週間限定での登板であった)。後に芥川賞作家となった辻仁成も、この時代ECHOESボーカル・「辻 仁成つじ じんせい)」としてパーソナリティ務めている。福山雅治1992年1月から1994年6月同年11月から1998年3月、及び2000年4月から2015年3月まで担当)が、当時若手イケメン俳優歌手というポジション認知されていた彼の「素」を本番組で公に広く知らしめた。ただ、この頃になるとオーディションパーソナリティ発掘し番組育てていくことよりも、知名度ありきでパーソナリティ採用することが増えてきた。 1991年10月には、25年目突入記念して中島みゆきタモリビートたけし笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送行ったまた、1997年10月から1998年3月まで、番組放送開始30周年記念して過去のパーソナリティ担当するオールナイトニッポンDX』が、19:00 - 21:00放送されている。 しかし、1990年代中頃になると、テレビ深夜番組充実化やビデオデッキゲーム機パソコン携帯電話普及などによって、若年層中心としたラジオ離れ顕著になり、深夜ラジオ全体長期低落傾向目に見え現れて来る。さらに同じラジオ業界内でも1980年代末以降民放FM局急増、『スーパーFMマガジン』(TOKYO FM)『FMナイトストリート』(JFN)など、民放FM局深夜帯にAMラジオ的なネタ・トークを中心に据えた番組制作する様になったことから聴取者全体パイ分散し一部地方局でのCM収入減少による制作費減少など、AMラジオ深夜放送対す逆風強くなっていった1992年10月改編では「一新と言われたほどそれまでにかつてなかったレベルパーソナリティ入れ替え行い現状維持ウッチャンナンチャン松任谷由実のみ、加藤いづみ電気グルーヴ福山雅治2部から1部昇格2部は総入れ替え)、更にこの時に立てられ企画としてリスナーコミュニケーション強化目的とした「オールナイトニッポンクラブ(仮)」の設置新人パーソナリティ発掘のために半年ごとに開催する「ゴールデンベロー賞」の開催番組ノベルティ販売番組会報の発行などがあったが、結局これらのほとんどは頓挫した。そして番組寄せられるはがきやFAXの数も激減し1997年当時ナインティナインのオールナイトニッポン宛て送られてくるはがき・FAXの数はトータルで週3000程度であり、1960 - 1970年代人気番組7分の1程度にまで落ち込んでいた)、オールナイトニッポンだけでなく、AMラジオ若者向け深夜放送自体将来暗雲垂れ込めていた。その様な中で、ニッポン放送パソコン携帯電話メールなど新しツールに目をつけ、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべく『オールナイトニッポン』を含めた夜帯の大改編を行うことになる。 1998年春の改編では、2部27:00 - 29:00)がR(リラックスの略)がついた『オールナイトニッポンR』に改称金曜深夜土曜深夜除き28:30終了30短縮された。この時期にはインターネット放送でのスタジオ同時生中継試験的に行われ、この試みは後に「LFX488」に生かされた。

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