安定期/1978-1987年とは? わかりやすく解説

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安定期/1978-1987年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:29 UTC 版)

フリートウッド・マック」の記事における「安定期/1978-1987年」の解説

この後、12thアルバム牙 (タスク)』(全米4位)、『ライヴ』、13thアルバムミラージュ』(全米1位) の3枚アルバム発表したが、『噂』のような大ヒットにはいたらなかった。しかしワールドツアー盛況重ね観客動員の面ではスーパースターとのポジション維持し続けた1980年代に入るとメンバー各自ソロ活動活発化し、全米アルバムチャートNo.1記録したスティーヴィーの作品筆頭に、リンジークリスティンも、それぞれソロでTOP10ヒットをものにする。ミックも、アフリカミュージシャン起用した意欲的なソロアルバム『The Visitor』を発表した。 しかし、バンドとしてソロとして順調に活躍していたこの時期マックには、メンバー同士関係の悪化、スティーヴィーの薬物中毒克服のためのリハビリ施設入りバンドゴタゴタや妻との離婚父の死など公私にわたるトラブル疲れ切ってコカインとブランデー溺れたミック破産など、バンド周辺トラブル絶えない、暗い側面同時に存在していた。 久々に全員揃った1987年の14thアルバムタンゴ・イン・ザ・ナイト』(全米7位)では、音楽面におけるリンジー献身的な貢献もあり、いつも通りヒット記録したが、アルバム発表直後にそのリンジー脱退ライブツアーは、新メンバーとしてリック・ビトー(英語版)、ビリー・バーネット(英語版)のギタリスト2名を加えた新編成行われた。この時のライブではバック・ボーカルキーボードサポート・メンバー使いクリスティンボーカル曲では彼女をステージ前面出したり、スティーヴィーのソロ・ヒット曲「スタンド・バック(英語版)」を取り上げるなど、リンジー不在クリスティンと、特にスティーヴィーを大きくフィーチャーすることで補う演出がされていた。

※この「安定期/1978-1987年」の解説は、「フリートウッド・マック」の解説の一部です。
「安定期/1978-1987年」を含む「フリートウッド・マック」の記事については、「フリートウッド・マック」の概要を参照ください。

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