安定期/1978-1987年
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この後、12thアルバム『牙 (タスク)』(全米4位)、『ライヴ』、13thアルバム『ミラージュ』(全米1位) の3枚のアルバムを発表したが、『噂』のような大ヒットにはいたらなかった。しかしワールドツアーは盛況を重ね、観客動員の面ではスーパースターとのポジションを維持し続けた。 1980年代に入るとメンバー各自のソロ活動が活発化し、全米アルバムチャートでNo.1を記録したスティーヴィーの作品を筆頭に、リンジー、クリスティンも、それぞれソロでTOP10ヒットをものにする。ミックも、アフリカのミュージシャンを起用した意欲的なソロアルバム『The Visitor』を発表した。 しかし、バンドとしてもソロとしても順調に活躍していたこの時期のマックには、メンバー同士の関係の悪化、スティーヴィーの薬物中毒克服のためのリハビリ施設入り、バンドのゴタゴタや妻との離婚、父の死など公私にわたるトラブルに疲れ切ってコカインとブランデーに溺れたミックの破産など、バンド周辺でトラブルが絶えない、暗い側面が同時に存在していた。 久々に全員が揃った1987年の14thアルバム『タンゴ・イン・ザ・ナイト』(全米7位)では、音楽面におけるリンジーの献身的な貢献もあり、いつも通りのヒットを記録したが、アルバム発表直後にそのリンジーが脱退。ライブツアーは、新メンバーとしてリック・ビトー(英語版)、ビリー・バーネット(英語版)のギタリスト2名を加えた新編成で行われた。この時のライブでは、バック・ボーカルやキーボードにサポート・メンバーを使い、クリスティンのボーカル曲では彼女をステージの前面に出したり、スティーヴィーのソロ・ヒット曲「スタンド・バック(英語版)」を取り上げるなど、リンジーの不在をクリスティンと、特にスティーヴィーを大きくフィーチャーすることで補う演出がされていた。
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