安定成長期・バブル期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 09:38 UTC 版)
「関東学院大学」の記事における「安定成長期・バブル期」の解説
1980年代に入って、高度経済成長も終わり世界第2位の経済大国となった日本。一億総中流と国民の生活も豊かさを増す中で、詰め込み教育や受験地獄等と揶揄され大学進学率も26%を突破。大学数も国立大学93、公立大学35、私立大学319と446もの大学の中で中堅大学としての位置付けとなった。各大学が規模の拡大などから郊外型キャンパスを設置するのと同様に、関東学院大もスポーツ施設を備えた新たなキャンパスを1986年に釜利谷に文学部を移転した。しかし、この頃になるともうバブル景気期であり、学生は個人主義で大量消費社会を謳歌する時代であり、学生運動などの社会問題に興味を示す者などほぼ皆無に等しい。その後、第二次ベビーブーマーが大学受験世代となった1980年代後半から1990年代前半に置いて、多くの大学が学部増設や新設大学が増加。関東学院大も規模拡大するにあたり、小田原市の誘致で市が造成費用と土地費用を無償提供する公私協力方式によって、1991年に法学部が小田原に誕生し事実上の総合大学となった。なお、就職は空前のバブル景気によって好調であった。
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