安定成長期とその後のバブル景気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 19:02 UTC 版)
「昭和」の記事における「安定成長期とその後のバブル景気」の解説
高度経済成長により日本は、過剰人口問題を解決して国民の生活は有史以来初めてといえる豊かさになった。2度のオイルショック後の急激なインフレーション(狂乱物価)と不況は短期間で終わり、素材産業など一部の重厚長大産業は没落したが、省エネルギー化を推進して、ハイテク産業・サービス業が成長して、安定成長へと順調に移行することができた。欧米諸国がスタグフレーションに苦しむ中、自動車や電化製品の生産を激増させ、集中豪雨的な海外輸出の拡大によって貿易黒字は増大の一途を辿り、ついに日本の経済は昭和40年代にソ連・西ドイツを抜き世界第2位の経済大国となった。1980年(昭和55年)には、戦後わずか30数年にしてGNPレベルではアメリカ合衆国の経済に次ぐ規模を持うようになり、国民の生活レベルは一億総中流と呼ばれた。この間、コンビニ・ウォークマン・カラオケが普及して、日米貿易摩擦が問題となった。日本の人口の増加は戦後急速に進んでいたが、団塊の世代(特に女性)の結婚が増加した影響で(昭和46年度〜昭和49年度)に第2次ベビーブームが発生したのが日本の人口構造の転換点となった。出生数が一時的に増加した直後の1975年(昭和50年)以降はしらけ世代の女性の未婚率の上昇で出生率が2人を下回った。昭和50年代から日本国は少子高齢化社会へと移行していく。
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