地形・自然
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北の成山(標高52m)と南の高埼(標高23m)はもともと陸繋島で、江戸時代初期までこれらは砂州で淡路島と繋がり 、ラグーンである由良湾の湾口は成山と高埼の間で開いていた。南北両端の水路開削と旧来の湾口を閉鎖して成ヶ島は現在の沿岸州(バリアー島)になった。この成ヶ島の面積は約39ha、海岸線の長さは約6.4kmあるが 、成山と高埼の間の最狭部は護岸を含めても25mほどしかない。 成ヶ島の西側には干潟が広がり、砂州や干潟沿いに希少な海浜植物が自生し、ハクセンシオマネキなどの希少動物も生息している。 ハクセンシオマネキ - カニの一種。環境省レッドリスト(2007) 絶滅危惧II類(VU) ハマボウ - アオイ科の樹高3mほどの落葉低木。兵庫県版レッドデータブック(2003) Aランク 絶滅危惧I類 ハマウツボ - 寄生植物。兵庫県版レッドデータブック(2003) Aランク 絶滅危惧I類 ハママツナ - アカザ科の一年草。潮間帯に見られる。兵庫県版レッドデータブック(2003) Cランク 準絶滅危惧種 アカウミガメ - 紀淡海峡側から上陸して砂地に産卵するのが見られる。 瀬戸内海国立公園の第2種特別地域に指定されていて、これらの貴重な生態系と自然景観の保全を図るため 砂州の侵食を防止するための護岸堤の整備 「成ヶ島クリーン作戦」- 地域住民らが行っている漂着ゴミなどの回収清掃 海岸利用者へのマナー啓発 などが行われている。
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地形・自然
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松島湾は仙台湾の中央部に位置する支湾で、宮城県東松島市の唐戸島南東端と宮城郡七ヶ浜町の花渕埼の間にある多島海である。このうち塩竈市が面する松島湾南西部は塩竈湾、あるいは千賀ノ浦と呼ばれる。松島の地形は宮城県の中央部にある松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残っている。そのうち松島湾中南部にある比較的大きな島々の集まりは浦戸諸島と呼ばれる。松島湾中央部の島が全くない海域の水深はおおむね2メートルで、海底が浅いため波が荒くなると海底の泥が舞い上がって海水が濁りやすい。 この地形の成り立ちについては、以下のような説が唱えられている。鮮新世に起こった地盤運動によって現在よりも内陸に広がっていた仙台湾が隆起して陸地化し、同時に地塊運動によって現在の松島湾に当たる部分に陸地が突出して、半島のような地形となった。やがてこの部分は河川によって浸食され、谷間が刻まれる。更新世初期に現在言われる長町利府構造線の断層運動によってこの半島は徐々に海中に没し、海蝕面が形成され、高い所は島となった。更新世中期から後期にかけて沈んだ半島が再び隆起して海蝕台地となり、再び河蝕を受ける。更新世末期に長町利府構造線の撓曲によって再び沈水して、高い部分のみが島として残り、周囲に溺れ谷が多数形成された。度重なる隆起と沈降と浸食によって現在見られるような松島の地形が形作られたのである。松島湾中央部の島が全くない海域は、かつて谷間に発達した平野部だったと考えられている。また、これ以外の説もある。 この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる嵯峨渓のような海蝕崖も見られる。このように侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。1970年1月31日、台湾坊主による暴風雨が松島を襲った際には、荒岬島(塩釜市)が一晩で消滅するなど地形の変化の大きさを裏付ける記録も残る。 松島の島々はしばしば「八百八島」と形容されるが、島々の数については正確に把握されておらず、古くから文献によって様々に書き記されてきた。江戸時代に大淀三千風が松島を広く紹介するために編纂した『松島眺望集』では92、仙台藩が編纂した地誌『封内風土記』では87、1910年(明治43年)の『松島公園経営概要』では240余、1981年(昭和56年)の『県立自然公園松島学術調査報告書』では230の島々があるとされ、また松島湾を管轄する第二管区海上保安本部は島の数を128と把握しているという。このように島々の数が不確定だったために昭和40年代頃に調査が行われ、260余りという数が松島の統一見解とされて、これが各機関に通達された。『松島町史(通史編2)』(1991年)ではこの島々の数の問題について触れ、国土地理院地図などを参考に、松島湾内の島々で名称のあるものが144、無名の島々が98あると記している。ただし、この数には、埋め立てられたり、地震や自然の崩落によって島とは言えなくなったりしたものがいくつか含まれている。これに加えて、岩礁を島の数として含めた場合、松島湾の島の数は約300になるだろうとも付け足している。 亀島 仁王島。松島を象徴する島のひとつ。仁王像が葉巻をくわえて座っているように見える。 千貫島。伊達政宗お気に入りの島だったと言われている。 小藻根島。長命穴はこの島の南端にあった。 鐘島。4つの洞門に打ち寄せる波が鐘の音のように聞こえたことが名の由来。 双子島 みさご島 かえる島。見た目が蛙のようである。 高島。通称「めがね島」。 小藻根島南端に存在した高さ約5メートルの「長命穴」。遊覧船で通り抜けると寿命が3年延びるとされた観光の名所であったが、東北地方太平洋沖地震によって崩壊した 鎧島。波頭のような形状をしている。
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