哨戒 1945年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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哨戒 1945年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:44 UTC 版)

ソーンバック (潜水艦)」の記事における「哨戒 1945年6月 - 8月」の解説

6月11日、ソーンバックは最初哨戒日本近海向かった。しかし、真珠湾出航直後海峡通過する際、上陸歩兵舟艇英語版)の一団海峡誤った側を航行してきたため、ソーンバックは反対側の端を航行することを強いられ、そのため音響ドーム破損修理のため出撃2日遅れることとなった6月13日改め出撃したソーンバックは、当初サイパン島向かって航行した。しかしすぐにグアム転進する。途中マリアナ諸島で日に4度潜航訓練および戦闘訓練演習、緊急浮上訓練行い6月25日グアム到着したウルフパック「エイブズ・アボリッシャーズ Abe's Abolishers」の先導艦として、ソーンバックは6月30日出航日本本土向かった。この時点で、アメリカ海軍第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)およびイギリス海軍37任務部隊(サー・バーナード・ローリングス(英語版中将)は、日本本土沿岸目標に対して容易に接近し艦砲射撃が行えた。日本の民間船および艦艇もその数は減少していた。連合軍潜水艦および航空機攻撃増大させた。日本の航空機もほぼ一掃され、「エイブズ・アボリッシャーズ」は第3艦隊ウィリアム・ハルゼー大将)の先導として東京横浜間でピケット艦対す哨戒担当続いて本州東岸および北海道南方移動し敵艦探索行った。 ソーンバックの哨戒荒波強風および悪視界悩まされた。7月5日未明には点灯航行中病院船観測し、その6日後にポンプ室小火災が発生、第1換気装置一時停止したが、すばやい修理によって哨戒継続された。7月15日、ソーンバックはシーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) と合流する。2隻はそれぞれの哨戒海域情報交換したまた、士気高めるための貴重な品である映画フィルム交換した6日後、ソーンバックは北へ移動し襟裳岬沖で哨戒を行う。この近辺は、第38任務部隊による空襲が行われたばかりで、アブラムソン艦長は「サハラ砂漠旅行しているかのようだ」と思った。ソーンバックは南に下った7月26日3時20分ごろ、ソーンバックは閉伊近海商船小型哨戒艇発見し閉伊崎から7,300メートル地点潜航4時過ぎ、ソーンバックは哨戒艇推進音を探知し潜望鏡深度戻した。ソーンバックは目標接近し4時29分に艦尾発射管から魚雷1本を発射小さ爆発音聴取した。ソーンバックは新たな目標音の探知務め一方海上では水上機旋回をしていた。観測すると、日本人船員乗ったボートがあり、これは目標沈没裏付けるものとされた。他の哨戒艇攻撃してこず、救助専念していた。 3日後、ソーンバックは潜望鏡で950トンのSanko Maru クラス海上トラック発見海岸から1,800メートル離れた場所で浮上し折りからの深い霧の中でソーンバックは海上トラック向けて魚雷を5本発射。しかし、魚雷命中しなかった。ソーンバックは2度目雷撃魚雷3本発射したが、効果はなかった。ソーンバックは海上トラックまで270メートル接近し40ミリ機関砲撃ち込んだ。しかし、最終的に海上トラック霧の中逃げてしまった。 7月31日、ソーンバックは北海道近海去ったあと、何隻かの日本哨戒艇発見した。ソーンバックは30メートルクラスの哨戒艇目標に、5インチ砲が火を噴いた相手はソーンバックに対して体当たり態勢取り、ソーンバックはこれを阻止しよう40ミリ機関砲浴びせた砲弾喫水線沿って命中し相手艦長艦橋戦死したであろう推定された。戦闘中、ソーンバックでは雑音聴取し、その音は相手機関銃でソーンバックの舷側射撃している音だったことがわかった。ソーンバックは270メートルまで接近し、再び40ミリ機関砲射撃マスト目標集中的に撃った相手大い撃たれ、3ノット速力海岸向かってノロノロ航行しているだけだった。ソーンバックは他の哨戒艇マスト油膜の間を通り抜けた。この戦闘で、ソーンバックは第42駆潜艇打撃与えた戦闘後、ソーンバックは気仙沼沖でシーポーチャー (USS Sea Poacher, SS-406) と会合しばらくして王子製紙苫小牧工場対す艦砲射撃終えたアングラー (USS Angler, SS-240) も合流。3隻の潜水艦体形整えて水上航行するさまは、アブラムソン艦長をして「この良い晴天の下、3隻の潜水艦18ノット平穏な海上航行する姿は、とても美しい絵を見ているようだった」と回想した8月1日14時2分、「エイブズ・アボリッシャーズ」の3隻は浦河町沖にその姿を浮かべた戦闘配置銃砲人員配置し海岸沿って航行12分後、3隻は10ノット速力航行し、3,800メートル先の陸上目標向けて5インチ砲と40ミリ機関砲撃った。ソーンバックは射撃開始直後こそもたついたものの、100発もの5インチ砲弾陸上工場発電所撃ち込んだ。アブラムソン艦長は「22分間砲撃は、ソーンバックの全乗組員にとって計り知れない価値があった」、「訓練もよく出来、これは士気への物凄い後押しとなった」と回想した。 ソーンバックは浦河町への砲撃後、ミッドウェー島向けて出航8月8日、ソーンバックは52日間行動終えてミッドウェー島帰投した。その7日後、日本降伏した

※この「哨戒 1945年6月 - 8月」の解説は、「ソーンバック (潜水艦)」の解説の一部です。
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