哨戒と戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/26 15:10 UTC 版)
マピロはミシガン湖での公試後、マピロはイリノイ州ロックポートで乾ドックに納められ、南太平洋での任務のためミシシッピ川をシカゴからルイジアナ州ニューオーリンズまで曳航された。マピロは5月31日にパナマ運河地帯へ向けて出航し、6月5日に訓練のためバルボア沖に到着した。6月28日にカットラス (USS Cutlass, SS-478) と共にハワイに向けて出航、7月15日に真珠湾に到着した。 8月4日、マピロは最初の哨戒でマリアナ諸島に向かった。終戦当日の8月15日にサイパン島沖に到着し、そのまま実戦に参加することなく本国に引き返すこととなり、8月25日に不活性化工事を受けるためサンフランシスコに到着した。1946年3月16日にマピロは退役し、1947年1月1日にカリフォルニア州メア・アイランドの太平洋予備役艦隊入りした。
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哨戒と戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/27 04:03 UTC 版)
7月6日、マカビは最初の、そして唯一の哨戒でトラック諸島方面に向かった。グアムアプラ港での補給と整備を経て哨区に向かう。7月21日にトラック沖の救助配備担当海域に到着。およそ10日後にモエン島沖で航空攻撃を受け、潜航を強いられた。その後、マカビは一旦アプラ港に戻り、8月4日から13日まで修理を行う。終戦時には修理を終えて再度トラックへ向かう途中であった。マカビは帰還命令を受けた。8月27日、マカビは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。2日後の8月29日まで真珠湾に停泊した後出航し、9月5日にサンフランシスコに到着した。12月12日にメア・アイランド海軍造船所入りし不活性化オーバーホールを行った後、1946年6月16日に退役した。
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