哨戒と喪失とは? わかりやすく解説

哨戒と喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:10 UTC 版)

エスカラー (潜水艦)」の記事における「哨戒と喪失」の解説

9月18日エスカラー最初哨戒東シナ海方面向かったミッドウェー島燃料補給した後、クローカー (USS Croaker, SS-246) 、パーチ (USS Perch, SS-313) と合流してウルフパック構成ウルフパック東シナ海黄海哨戒した。3隻の艦長のうち最先であったミリカンがこのウルフパック指揮し部隊は「 Millican's Marauders (ミリカン略奪者)」と呼ばれた9月30日エスカラー含めたウルフパック小笠原諸島北部位置したが、聴音部はエスカラーから次のような部分的な通信受け取った。 THIS FROM ESCOLAR X ATTACKED WITH DECK GUN BOAT SIMILAR TO EX-ITALIAN PETER GEORGE FIVE OTYI その後エスカラーは、通信および砲艦との接触中断強いられた。この時は、それ以上エスカラーからの通信受け取られなかった。しかしながらパーチクローカー10月17日までエスカラー通信行ったことを記録しており、パーチエスカラーが自らの哨戒コースにいたときに定時通信受信している。それによればエスカラーは「朝鮮半島南西方黄海にあって東進中」とのことであったその後エスカラー消息不明となった。もしエスカラー任務予定通り完了していた場合11月13日頃にはミッドウェー島到着していたはずであったエスカラー通信しようという試み全て失敗しエスカラー1944年11月27日喪失したものと報告された。 日本側のこの時期対潜艦戦記録でも、エスカラー喪失原因となる手掛かり得られなかった。また、当時黄海には多く機雷敷設されていたが、パーチ報告されエスカラーコースでは、既知機雷敷設海域通過してはいなかった。1945年4月以前機雷敷設海域位置は、アメリカ側には正確に知られていない日本側の記録では、1943年7月から9月にかけて朝鮮半島南西小黒山島中心に北緯3321東経12235分 / 北緯33.350度 東経122.583度 / 33.350; 122.583の推定地点に向けて深度13メートル23メートル敷設されたものと、1944年11月下旬補強のために珍島南方海域向けて敷設したものが黄海における対潜機であった。しかし、この対潜機礁の敷設密度濃くなく、また流失などで浮遊機雷化したものもあって、有効に機能してたかどうかは不明である。現に、エスカラーらが向かう前の7月に、タング (USS Tang, SS-306) がこの対潜機礁の存在あざ笑う如く黄海で4隻撃沈という戦果挙げているからである。珍島南方海域機雷も、敷設時期11月下旬ということからして関わりはない。いずれにせよエスカラー喪失機雷接触したことによるものではないかというのが最も適当なとされるが、上記のように対潜機礁の効果疑問符ついているだけに、タングより前の1月にこの海域行動して、やはり触雷喪失した考えられるスコーピオン (USS Scorpion, SS-278) ともども、何とも不運な潜水艦だったと言える

※この「哨戒と喪失」の解説は、「エスカラー (潜水艦)」の解説の一部です。
「哨戒と喪失」を含む「エスカラー (潜水艦)」の記事については、「エスカラー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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