第11の哨戒 1945年6月 - 8月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1945年6月 - 8月」の解説
6月15日、ホエールは11回目の哨戒で日本近海に向かった。6月21日にサイパン島に寄港し、ウェーク島近海に向かった後、7月6日に一旦アプラ港に戻った上で翌日再度哨戒を実施。7月8日から23日にかけて、ホエールはマリアナ諸島と小笠原諸島、豊後水道を結ぶライン上で哨戒した。この間、B-29 のクルーおよび B-24 のクルーを15名救助した。一方で、7月26日には北緯32度27分 東経132度33分 / 北緯32.450度 東経132.550度 / 32.450; 132.550の地点を中心に機雷を43個も発見し処分した。一連の活動で、潜水艦による救助活動を遂行する上での不具合が次々と判明したため、「今後改善されたし」との報告を行った。7月30日、ホエールは沖の島東方で哨戒中に悪天候に遭遇。海は荒れに荒れ、姿勢を保つことができなかった。従って、30分ずつ潜航して悪天候が収まるのを待った。8月4日に豊後水道で潜航哨戒を実施。4日後にドラゴネット (USS Dragonet, SS-293) と合流し、パイロットの救助任務に当たる。8月9日にホエールはブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) から16名のパイロットと1名の負傷者をゴムボートを使って受け入れる。8月11日、ホエールはサイパン島での給油とミッドウェー島での修理命令を受け取る。8月14日にサイパンに到着するが、翌日トルーマン大統領が日本の降伏を発表した。翌16日、ホエールはスキャバードフィッシュ (USS Scabbardfish, SS-397) と共に出航した。8月25日、ホエールは68日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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