第11の哨戒 1945年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第11の哨戒 1945年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1945年6月 - 8月」の解説

6月15日ホエール11回目哨戒日本近海向かった6月21日サイパン島寄港しウェーク島近海向かった後、7月6日に一旦アプラ港戻った上で翌日再度哨戒実施7月8日から23日にかけて、ホエールマリアナ諸島小笠原諸島豊後水道を結ぶライン上で哨戒した。この間B-29クルーおよび B-24 のクルー15救助した一方で7月26日には北緯3227東経13233分 / 北緯32.450度 東経132.550度 / 32.450; 132.550の地点中心に機雷43個も発見し処分した一連の活動で、潜水艦による救助活動遂行する上で不具合次々と判明したため、「今後改善されたし」との報告行った7月30日ホエール沖の島東方哨戒中に悪天候遭遇。海は荒れ荒れ姿勢を保つことができなかった。従って、30分ずつ潜航し悪天候が収まるのを待った8月4日豊後水道潜航哨戒実施4日後にドラゴネット (USS Dragonet, SS-293) と合流しパイロット救助任務に当たる。8月9日ホエールはブラックフィッシュ (USS Blackfish, SS-221) から16名のパイロットと1名の負傷者ゴムボート使って受け入れる。8月11日ホエールサイパン島での給油ミッドウェー島での修理命令受け取る。8月14日サイパン到着するが、翌日トルーマン大統領日本の降伏発表した。翌16日ホエールはスキャバードフィッシュ (USS Scabbardfish, SS-397) と共に出航した8月25日ホエール68日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第11の哨戒 1945年6月 - 8月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
「第11の哨戒 1945年6月 - 8月」を含む「ホエール (潜水艦)」の記事については、「ホエール (潜水艦)」の概要を参照ください。

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