第11の哨戒 1944年2月・喪失とは? わかりやすく解説

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第11の哨戒 1944年2月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:48 UTC 版)

トラウト (SS-202)」の記事における「第11の哨戒 1944年2月・喪失」の解説

2月8日トラウト11回目哨戒東シナ海向かったミッドウェー島燃料補給し16日出航した。しかし、トラウトはこれを最後に消息絶ち帰投期日4月7日になってミッドウェー島に姿を見せず4月11日喪失推定された。トラウトの全乗組員の他、潜水隊司令ハリー・E・ウッドワース中佐が行不明となった戦後日本側の記録などを調べた結果トラウト最期次のようなものだった考えられた。 2月29日トラウトが行動する海域近く哨戒中のロック南西諸島付近航行中にで日本の重要船団発見した。この船団は、釜山からグアム第二十九師団高品彪中将)の陸軍兵士輸送する松輸送船団内の一つであり、安芸丸日本郵船11,409トン)、東山丸大阪商船、8,666トン)および崎戸丸日本郵船、9,247トン)の3隻の優秀貨客船前身とする陸軍輸送船中心となり、朝霜岸波沖波の3隻の駆逐艦構成されていた。ロック夜間の2時49分頃に浮上して船団接近したが、この時ロックの右斜め前方約6キロ地点にいた朝霜察知されロック照準することなく後部発射管から魚雷4本を放射状発射したその後ロック朝霜の右舷側に移り朝霜のサーチライトと12.7センチ砲の発射炎によって照らされながら潜航した。しかし、潜航しかけた時に砲弾潜望鏡支柱命中し潜望鏡昼間用・夜間用の両方とも破損した。またレーダーマストに浸水するなど大小さまざまな被害受けていた。この後4時間に及ぶ爆雷攻撃しのいだロック夜になって浮上し船団発見の旨を報告した。この報告受信して船団攻撃したのがトラウトであったロック損傷してから半日後の夕方17時53分トラウト北緯2240東経13150分 / 北緯22.667度 東経131.833度 / 22.667; 131.833の地点輸送船3隻に向けて魚雷3本発射朝霜がこれに気付いたものの、2本が崎戸丸命中して崎戸丸沈没した。もう1本は安芸丸命中して航行不能に陥らせた。その後撃破された安芸丸その後8ノット速力出せるまでに回復した17時55分、朝霜は自艦の左舷1,200メートル潜望鏡発見17時57分、朝霜60メートル設定した12発の爆雷投下九三式水中探信儀使用しさらに深い深度設定した7発の爆雷投下したその結果1816分に海中誘爆音を聴取した水中探信儀使用したものの、誘爆音を聴取したあとは反応はまったくなかった。これがトラウト最期だった。 トラウト太平洋戦線戦没までに11度哨戒行い2番目、3番目、および5番目の哨戒成功みなされた。これらの戦功によって11個の従軍星賞と三度殊勲部隊賞受賞した

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