第11SS装甲軍
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「第11軍 (ドイツ軍)」の記事における「第11SS装甲軍」の解説
第11軍は再編成されることとなったが、ヴァイクセル軍集団の初代司令官親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーによって第11SS装甲軍と名称を変更された。 第11SS装甲軍はヒムラーの赴任期間中の1945年1月に編成された書類の上での軍編成であった。アントニー・ビーヴァーによれば第11SS装甲軍が編成された時、せいぜい軍団規模の戦力しかなかっただろうとしているが、その一方でハンス=ゲオルグ・アイスマン(Hans-Georg Eismann)は装甲軍はそれよりはまだマシな部隊がいたとしている。 この編成により、ヒムラーは武装親衛隊将校を昇進させることを可能にし、武装親衛隊で最良の軍人、フェリックス・シュタイナー親衛隊大将が司令官に任命され、公式に発表、登録されたものの、部隊は1個師団規模でしかなかった。そのため、「SS Panzer-Armeeoberkommando 11(第11SS装甲軍司令部)」としても知られており、英語訳では「11th SS Panzer Army(第11SS装甲軍)」と呼称されることとなった。1945年2月、オーデル川東岸で戦闘した後に、西方総軍司令部(OB West)へ所属を移動した。 1945年、西側連合国軍との戦いの為に再編成され、多少の部隊が加わった。ヴェーザー川とハルツ山地で防衛戦を行った後の4月21日、第11SS装甲軍は連合軍に降伏した。 なお、ベルリンの戦いの時、シュタイナーがシュタイナー戦闘団を率いて戦ったため、第11SS装甲軍と混同されることがある。
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