第11SS装甲偵察大隊第3中隊
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「ハンス=イェスタ・ペーアソン」の記事における「第11SS装甲偵察大隊第3中隊」の解説
バート・テルツSS士官学校卒業後の1943年8月20日、SS連隊付上級士官候補生(SS-Standarten-Oberjunker)としてペーアソンはその頃に創設された「ノルトラント」師団の装甲偵察大隊に配属された。 ルドルフ・ザールバッハSS大尉(SS-Hstuf. Rudolf Saalbach)が指揮を執る第11SS装甲偵察大隊(SS-Panzer-Aufklärungs Abteilung 11)は、2個偵察中隊、2個装甲擲弾兵中隊、1個重兵器中隊から成る総員約800名の偵察大隊であった。その第3中隊はヴァルター・カイザーSS中尉(SS-Ostuf. Walter Kaiser)が指揮を執り、4個小隊(第1 - 第3装甲擲弾兵小隊、第4重兵器小隊)で構成されていたが、ペーアソンが小隊長を務める第4小隊には約40名のスウェーデン人義勇兵が所属していたことから、非公式ながら第4小隊は「スウェーデン小隊」(Schwedenzug)と呼ばれた。 1943年9月1日にSS少尉(SS-Untersturmführer)に昇進したペーアソンは、その後、クロアチアからレニングラード戦線への移動を命じられた「ノルトラント」師団とともにレニングラード戦線へ向かった。
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第11SS装甲偵察大隊第3中隊
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「ラグナル・ヨハンソン」の記事における「第11SS装甲偵察大隊第3中隊」の解説
1944年4月、ヨハンソンは第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」第11SS装甲偵察大隊第3中隊に配属された。当初はオートバイ伝令として勤務していたが、やがて中隊指揮官の装甲兵員輸送車の運転手となり、また、「幸せの配達人」として故郷スウェーデンからの新聞や手紙を中隊のスウェーデン人義勇兵たちに届ける役目も務めた。 ヨハンソンは非常に背の高い男であったため、中隊の他のスウェーデン人義勇兵たちからは「キリン」(Giraffen)という渾名で呼ばれていた。ただし、中隊内にもう1人ラグナル・ヨハンソン(Nils Ragnar Johansson)という名のスウェーデン人義勇兵がいたため、彼と区別するために「ラグナル・ヨハンソンⅡ」や「若い方」(Ragnar Johansson den yngre)などと呼ばれることもあった。 1944年下旬のリトアニアおよびクールラントでの戦闘の後、第11SS装甲偵察大隊が所属する「ノルトラント」師団は1945年初旬に海路でポメラニアのシュテッティンまで後退した。再編制後、同師団は最前線に投入され、4月にベルリン市内へ退却するまでの間、押し寄せるソビエト赤軍と戦った。
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