第11の哨戒 1944年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第11の哨戒 1944年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:18 UTC 版)

スタージョン (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説

6月10日スタージョン11回目哨戒日本近海南西諸島方面向かった。この哨戒における攻撃価値のある敵との接触は2回のみであり、それらは厳重に護衛されていた。最初の接触6月29日朝、北緯2742東経12905分 / 北緯27.700度 東経129.083度 / 27.700; 129.083の徳之島南東海域タカ412船団12隻)を発見大型船に対して4本の魚雷発射され陸軍富山丸大洋興業、7,089トン)の左舷にすべて命中富山丸積載していたガソリン激しく炎上し間もなく2つ折れて沈没した7月3日には、北緯2853東経12951分 / 北緯28.883度 東経129.850度 / 28.883; 129.850の名瀬北東海域で、古仁屋出航し鹿児島向かいつつあったタカ604船団(5隻)を発見船団航空機および数多く小型艦によって護衛されていた。スタージョン陸軍大倫丸(大阪商船、6,862トン)の船首付近通過し、これを見た大倫丸の砲員が砲撃開始し体当たり態勢持ち込もうとした。スタージョンはこれをかわして魚雷を4本発射。うち3本命中し大倫丸は船首吹き飛び側面大きな穴が開いた末、右舷に傾いて沈没したスタージョン深深潜航し、およそ196発の爆雷および爆弾回避した護衛艦流出した混じり海水を、「撃沈」した証しとしてバケツすくって引き上げた8月5日スタージョン55日間行動終えて真珠湾帰投。これがスタージョン最後哨戒となった

※この「第11の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説は、「スタージョン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第11の哨戒 1944年6月 - 8月」を含む「スタージョン (潜水艦)」の記事については、「スタージョン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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