第11の哨戒 1944年6月 - 8月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説
6月10日、スタージョンは11回目の哨戒で日本近海、南西諸島方面に向かった。この哨戒における攻撃価値のある敵との接触は2回のみであり、それらは厳重に護衛されていた。最初の接触は6月29日朝、北緯27度42分 東経129度05分 / 北緯27.700度 東経129.083度 / 27.700; 129.083の徳之島南東海域でタカ412船団(12隻)を発見。大型船に対して4本の魚雷が発射され、陸軍船富山丸(大洋興業、7,089トン)の左舷にすべて命中。富山丸は積載していたガソリンが激しく炎上し、間もなく2つに折れて沈没した。7月3日には、北緯28度53分 東経129度51分 / 北緯28.883度 東経129.850度 / 28.883; 129.850の名瀬北東海域で、古仁屋を出航し鹿児島に向かいつつあったタカ604船団(5隻)を発見。船団は航空機および数多くの小型艦によって護衛されていた。スタージョンは陸軍船大倫丸(大阪商船、6,862トン)の船首付近を通過し、これを見た大倫丸の砲員が砲撃を開始し、体当たりの態勢に持ち込もうとした。スタージョンはこれをかわして魚雷を4本発射。うち3本が命中し、大倫丸は船首が吹き飛び、側面に大きな穴が開いた末、右舷に傾いて沈没した。スタージョンは深深度潜航し、およそ196発の爆雷および爆弾を回避した。護衛艦は流出した油混じりの海水を、「撃沈」した証しとしてバケツにすくって引き上げた。8月5日、スタージョンは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがスタージョンの最後の哨戒となった。
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