師団昇格、そして最後の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 05:53 UTC 版)
「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事における「師団昇格、そして最後の戦い」の解説
1945年2月、消耗した第4SS義勇装甲擲弾兵旅団「ネーデルラント」は第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」に吸収される予定になっていたが、オランダのファシズム組織「NSB」(Nationaal-Socialistische Beweging, 国家社会主義運動)からの抗議のため、第23SS義勇装甲擲弾兵師団「ネーデルラント」と改称された。しかし、名称こそ師団であるものの、実際の兵力は約1,000名でしかなかった。「ネーデルラント」師団はフェリックス・シュタイナーSS大将の第11SS装甲軍に所属し、2月のゾンネンヴェンデ作戦と3月のアルトダム(Altdamm)近辺の戦いに参加した。 1945年4月、消耗し尽くした「ネーデルラント」師団は、第48SS義勇装甲擲弾兵連隊「ヘネラル・セイファルト」と第49SS義勇装甲擲弾兵連隊「デ・ロイテル」を基にした2個戦闘団を新たに編成した。「ヘネラル・セイファルト」戦闘団は南へ向かい、「デ・ロイテル」戦闘団はオーデル川北方戦区に残った。 4月16日、ソビエト赤軍は最終攻撃を開始し、25日までにドイツ軍の防衛線を崩壊させた。攻撃の最中、「ネーデルラント」師団の2個戦闘団は激戦を行ったが、ソビエト赤軍による攻撃によって両戦闘団の連絡は分断された。「デ・ロイテル」戦闘団はソビエト赤軍の攻撃により押し戻されたが、パルヒム(Parchim)でソビエト赤軍の進出阻止を試みた。5月3日、ソビエト赤軍は多数の戦車を繰り出して同戦闘団へ攻撃を開始したが、「デ・ロイテル」戦闘団は熾烈な抵抗によってソビエト赤軍の進撃を食い止め、さらにその先遣部隊を殲滅した。その後、戦闘団の生き残りの将兵はアメリカ軍が近辺まで進撃しているという噂を耳にし、西へ移動してアメリカ軍に降伏した。 一方、「ヘネラル・セイファルト」戦闘団はハルベ近辺におけるソビエト赤軍の攻撃により、南へ押されていた。戦闘団の残存兵は第15SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第1)のVieweger戦闘団に吸収されたが、ハルベの戦いでの地獄のような戦闘で同戦闘団は全滅した。 戦後、生存者はいくつかの死刑宣告を受け、またオランダで裁判にかけられた。ヴァグナーはユーゴスラビアにおける戦争犯罪裁判にかけられ、民間人に対する攻撃行為により、死刑を宣告された。
※この「師団昇格、そして最後の戦い」の解説は、「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の解説の一部です。
「師団昇格、そして最後の戦い」を含む「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事については、「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の概要を参照ください。
- 師団昇格、そして最後の戦いのページへのリンク