丁号券
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鳳凰や龍といったデザインに変更した「大日本帝国政府軍票手票」として発行。
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丁号券
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丁号券
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:21 UTC 版)
1942年(昭和17年)1月4日の大蔵省告示第1号「兌換銀行券五圓券及貳百圓券改造發行」で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換券 額面 貳百圓(200円) 表面 藤原鎌足と談山神社拝殿、兌換文言 裏面 談山神社十三重塔、断切文字 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、発行局長 銘板 大日本帝國内閣印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒色 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 2桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁 寸法 縦97mm、横165mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1938年(昭和13年)6月28日 - 1938年(昭和13年)10月31日 記号(組番号)範囲 1 - 49(1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 44,100,000枚 発行開始日 1945年(昭和20年)4月16日(告示上:1942年(昭和17年)1月6日) 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日(証紙貼付券に限り1946年(昭和21年)10月31日) 発行終了 失効券 戦時インフレ発生の懸念から高額券の更なる備蓄が必要となったが、急造された簡易な仕様の丙号券が高額券として相応しいとは言い難いものであったことから、これに代わってより本格的なデザインとした丁号券が1942年(昭和17年)の大蔵省告示で制定された。しかしながらすぐには発行されず、将来のインフレ等の緊急事態に備えて日本銀行に死蔵されていた。 緊急的に発行されたこれまでの簡易的な二百円紙幣とは異なり、精巧で緻密な凹版印刷や、多色刷りの地模様、鮮明な白黒透かしなど、高額券として当時の紙幣印刷技術を駆使した紙幣となっている。ただし万一の事態に備え早急に製造する必要があったため、版面は他券種から流用されたものである。 表面には右側に藤原鎌足の肖像画、左側に奈良県桜井市にある談山神社の拝殿が、裏面左側には同じく談山神社の十三重塔が描かれているが、これらはいずれも乙貳拾圓券からの流用であり、談山神社の拝殿と十三重塔の印刷位置を入れ替えたものである。表面の地模様には花菱模様と、藤花、瑞雲、宝相華があしらわれている。裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている。 透かしは「200」の文字と桐の図柄である。透かし模様が確認しやすいよう、透かしの入った中央部分は文字と淡い印刷色の地模様のみの印刷となっている。 使用色数は、表面6色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色、記番号1色)、裏面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・断切文字1色)となっている。 終戦前の1945年(昭和20年)4月16日付けで実際に発行されたが、新円切替に伴い発行から1年も経たず1946年(昭和21年)3月2日限りで失効した。丙号券および丁号券については、失効後も証紙を貼り付けて臨時に新券の代わりとする「証紙貼付券」が発行され流通・通用したが、この「証紙貼付券」も1946年(昭和21年)10月末限りで失効した。 「日本銀行兌換券」と表記されているものの、実質的な発行開始時点で既に1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行により金本位制が廃止されていたため、実質的にも法的にも不換紙幣として扱われており金貨との兌換は行われていなかった。 発行された3種類の二百円紙幣の中では現在の古銭市場での価値が最も低いが、それでも数千円から1万円以上の値がつくことがある。
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丁号券
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1930年(昭和5年)2月18日の大蔵省告示第36号「兌換銀行券中五圓券改造」で紙幣の様式が定められている。主な仕様は下記の通り。 日本銀行兌換券 額面 五圓(5円) 表面 菅原道真と北野天満宮拝殿、兌換文言 裏面 彩紋、断切文字 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長 銘板 大日本帝國政府内閣印刷局製造 記番号仕様記番号色 黒色 記番号構成 〈記号〉組番号:「{」+数字1 - 3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁 寸法 縦76mm、横132mm 製造実績印刷局から日本銀行への納入期間 1929年(昭和4年)6月18日 - 1941年(昭和16年)1月17日 記号(組番号)範囲 1 - 341(1記号当たり900,000枚製造) 製造枚数 305,600,000枚 発行開始日 1930年(昭和5年)3月1日 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日 発行終了 失効券 関東大震災により滅失した兌換券の整理が必要となったことから1927年(昭和2年)2月に兌換銀行券整理法が制定され、従来の兌換券を失効させて新しい兌換券に交換するため、乙百圓券・丙拾圓券・丁五圓券が新たに発行された。 これまでに発行された日本銀行券では複数券種に同じ肖像が用いられるなどした結果券種間の識別が紛らわしくなっていたことなどから、額面ごとに肖像人物を固定化することとし、さらに輪郭や地模様、透かしに至るまで入念な検討のもとに肖像人物と関連性のある図柄が描かれることとなった。 表面右側には菅原道真の肖像が描かれている。この肖像については、エドアルド・キヨッソーネが描いた肖像の原画が関東大震災の被害により焼失したため、他の紙幣の肖像を基に新たに作成されたものである。表面左側には京都市上京区にある北野天満宮の拝殿が描かれている。地模様には手向山神社の「葱花輦」の古代織物文様と、梅花模様、および宝相華模様があしらわれている。 裏面中央には菅原道真に因んだ梅花を5個組み合わせた形状の彩紋を、その周囲には北野天満宮の紋である梅花紋を12個配している。裏面右端には「日本銀行」の断切文字が配置されている。これまで記載されていた英語表記の兌換文言は本券種から廃止され、英語表記は額面金額のみとなっている。 透かしは「五圓」の文字と肖像の菅原道真に因んだ梅花紋の図柄である。用紙については従前どおり三椏を原料とするものであるが、製法の変更により以前よりもやや黄色がかった色調の用紙に変更されている。また、従来の紙幣は寸法に統一性がなく取扱いが不便であったため、他額面の紙幣も含め一定の縦横比に統一した規格に揃えている。この券面寸法の規格は、五円紙幣では1943年(昭和18年)に発行開始されるろ五圓券まで維持されている。 使用色数は、表面6色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様3色、印章1色、記番号1色)、裏面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・断切文字1色)となっている。歴代の日本銀行券の中では比較的珍しく、鮮やかな色調を複数用いた明るい印象の券面となっている。 丁号券からろ号券までの5円券は、全て菅原道真が描かれており、通称では「1次」~「4次」と呼ばれているので、この丁号券は「1次5円」となる。改造券・乙号券も菅原道真が描かれているが「何次」とは呼ばれない。 1931年(昭和6年)12月の金兌換停止に伴い、それ以降は事実上の不換紙幣となり、1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行による金本位制の廃止に伴って法的にも不換紙幣として扱われることになった。 新円切替のため1946年(昭和21年)3月2日限りで通用停止となった。
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