一家4人焼死事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 17:00 UTC 版)
「館山市一家4人放火殺人事件」の記事における「一家4人焼死事件」の解説
千葉県館山市八幡822番地1号・事件現場の住宅 上記の火災現場(一家4人が焼死)は館山駅から北約500メートル(m)に位置する「館山市役所などがある市街地の西端で古い木造住宅が並ぶ」住宅街で、北条海岸(海水浴場)・ホテルなどの保養施設が立ち並ぶ地域だった。 この火災で男性Aとその妻である女性B(当時52歳・パート)・長男C(当時27歳・ゲームセンター従業員)・次男D(当時25歳・無職)の計4人が焼死した。このほか三男E(当時23歳・コンビニエンスストア店員)も同居していたが出火当時は仕事のため外出中で、Aの母親である女性F(事件当時80歳)は入院中だった。 加害者Tは2003年12月17日夕方に仕事を終えパチンコなどをした後、同日22時ごろから自宅近く(5件の火災現場の北に位置)の居酒屋で飲酒した。その後、仕事で使用していた2トントラックを店近くに駐車したまま友人の車で館山駅方面へ向かい、「渚銀座」のスナック合計3店などで飲酒した。Tは当時現金180円ほどしか持っておらず、スナックなどではツケで飲食しており、翌18日2時45分ごろになって最後に飲酒したスナックを出たが、既に所持金がほとんどなかったことから自宅まで約2時間の道のりを徒歩で帰ろうとした。しかしその途中、Tは以前から思い詰めていた収入減・消費者金融からの度重なる支払督促などに加え、知人が自身からの借入金を返済しないことなどを思い返したことで鬱憤を強め、憂さ晴らしのため「火を点けるものがあったら放火しながら帰宅しよう」と考えた。また『千葉日報』では「Tは被害者A宅に放火する直前にも目の付いた住宅・マンションなど2軒へ放火していた」と報道されているが、その2件については燃え跡が残っていなかったため立件されていない。 Tは2003年12月18日3時15分ごろ、男性A(事件当時56歳・無職)一家が住んでいた千葉県館山市八幡822番地1号の住宅(木造亜鉛メッキ鋼板葺2階建て・延べ床面積約80㎡)を見つけると「屋内でその居住者らが就寝しており、放火すれば住人らが死亡する可能性がある」と認識しながらあえて玄関付近の板壁に接着して置かれていた新聞紙の束に持っていたライター(平成16年押第47号の1)で点火し、その火を住宅に燃え移らせて全焼させたほか、隣接していたほか5人の居宅など6棟(延べ床面積合計約386㎡)にも燃え移らせて全焼させた(現住建造物等放火罪)。出火当時の館山市内は平均で風速4 - 6m、最大で10m超の強い西風が吹いていたため、火は強風にあおられて広範囲に燃え広がり、A宅を含めた木造平屋・2階建て住宅計5棟に加え、千葉県宅地建物取引業協会南総支部の事務所1棟を含めた計6棟の民家467㎡が全焼し、当時A宅内で就寝していた男性Aら親子計4人が焼死した(殺人罪)。いずれの家も原形を留めないほどに焼け落ちたが、中でも最も焼け方が激しかったA宅は柱まで焼け落ちて瓦礫のように変わり果て、焼け跡から発見された遺品は焼け落ちた硬貨数枚のみだった。 死亡した被害者4人は普段2階で就寝していたが、安房郡市消防本部によれば1階居間付近で1人、風呂場付近で1人、さらに土間で2人の遺体が発見された。被害者4人の遺体は猛火により骨まで炭化し、身体の一部も欠損した変わり果てた姿で発見された。 また現場検証中の12月19日11時20分ごろにはA宅の焼け跡付近で火の手が上がったが、これは崩落して折り重なった屋根・天井などを除去する作業中に熱を含んだ部分(何らかの不燃物に阻まれ水が掛かっていなかった箇所)が急に空気に触れたことで発火したためだった。 火災直後に千葉県警が現場検証したところ、燃え方が激しかったことから火元はすぐにA宅と断定された。他の5棟は空き家となっていた1棟以外の計4棟に計5人が住んでいたが、いずれも怪我人は出なかった。 その直後、Tは以下3件の放火事件を起こした。 同日3時25分ごろ、館山市八幡の「海幸苑たてやま夕日海岸ホテル」大浴場循環室(ブロック積み平屋建て)に侵入し、室内に設置された循環機(ホテル経営会社所有)の配管上に置かれていたタオルに前述のライターで点火して放火し、火を配管を被覆していた保温チューブに燃え移らせて炭化・損壊させた(器物損壊罪・被害額24,000円相当)。 同日午前3時45分ごろ、館山市正木4304番地9号にあったスーパーマーケット「ニコニコ小売市場 館山北店」(鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建て,延べ床面積約2940.5㎡)で同店北西側出入口付近に積まれていた段ボール箱に入っていた正月用しめ飾りに上記ライターで点火して放火し、火を同店建物の外壁などに燃え移らせたことで同店建物の外壁等約30㎡を焼損した(非現住建造物等放火罪)。なおこのTは放火直前に被害者A宅の火災を消火するべく出動した消防車を目撃していたが、犯行を思い留まることはなかった。 同日4時5分ごろ、館山市内の民家(木造瓦・アルミニウム板葺2階建て、延べ床面積約98.37㎡)に放火することを企て、1階台所南側勝手口付近の外壁に接着して置かれていたゴミ袋などに前述のライターで点火して放火し、火を同居宅に燃え移らせようとしたが自然鎮火したため、勝手口の外壁等を燻焼したに留まり放火の目的を遂げなかった(現住建造物等放火未遂罪)。 同日4時10分ごろ、館山市那古1514号5番地の民家へ侵入し、放火しようと企てた上で民家に隣接する車庫兼倉庫内に置かれていた発泡スチロール箱に前述のライターで点火して放火し、その火を外壁・屋根などに燃え移らせたことで住居として使用されていた建物(木造アルミニウム板葺平屋建て・車庫兼倉庫を含め床面積合計約121.87㎡)の外壁など約2㎡を焼損した(現住建造物等放火罪)。この家は偶然通りかかった消防署員が火災を発見して早期に消火したため結果的には小火で済んだが、仮にその偶然がなければ風に煽られて家が全焼し、当時86歳の住人(足が悪く、出火当時は就寝中だった)の生命が奪われていた可能性があった。 またTは一連の放火事件後、「最後に館山市正木付近の民家でも火を点けた」と供述した(立件はされていない)。 後に館山署内に設置された捜査本部が死亡した被害者4人の遺体のうち、2003年12月19日に男性2人、12月22日に男女2人の遺体をそれぞれ司法解剖したが、いずれも死因は焼死と断定されたものの、損傷が激しいため身元はすぐには確認できなかった。そのため千葉県警はDNA型鑑定を行う方針を決めたほか、22日の司法解剖結果や生存した三男Eの証言を頼りに身元確認を行い、被害者4人の胃の内容物が事件前夜(12月17日)の夕食の内容と一致したことに加え、入れ歯・ネックレスなど身に着けていたものの特徴も一致したため、12月23日に被害者4人の身元を在宅中だったA・B・C・Dと特定した。 26日・27日には館山斎場(館山市北条)で一家の通夜・葬儀が営まれた。
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