一家が避難した寺とは? わかりやすく解説

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一家が避難した寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 23:15 UTC 版)

八百屋お七」の記事における「一家が避難した寺」の解説

唯一の歴史資料ではお七放火至った経緯理由一切不明だが、創作八百屋お七物語では避難先の寺でお七恋人出会い、それが物語の発端となる。 『天和笑委集』でお七一家避難したとされる「正仙院」という寺を実在の寺として見つけることはできないが、延宝8年1680年)の『江戸方角安見図』では本郷森川宿の近くに「正泉院」という寺を見つけることが出来る。江戸災害研究家黒木喬によると正泉院はお七一家焼け出された天和2年師走28日新暦1683年1月25日)の火事火元となった大円寺の裏にある寺だが火元ありながら大円寺自身大し焼けなかったように正泉院も焼けなかったのだろうとして黒木はこれが天和笑委集でいう正仙院ではないか?としている。『江戸方角安見図』はインターネット公開もされているが江戸方角安見図の駒込一の右下隅に「正泉院」が見える。 西鶴二人の恋の場の寺の名を駒込・吉祥寺とし、西鶴流れを汲む多く作品現代歌舞伎などでも吉祥寺避難先のとされるが、お七一家家財道具持って逃げるには少し遠い(西鶴好色五人女挿絵では家具類を持って避難している)。黒木西鶴大阪なので大阪でも名の知られている寺を物語の舞台選んだのだろうとしている。日本大学藝術学部教授務めた目代 清も避難先はおそらくは円林寺円乗寺少なくとも吉祥寺ではないと断言している。 近世江都著聞集加藤曳尾庵の『我衣』(文政8年(1825年))などでは円乗寺としている。

※この「一家が避難した寺」の解説は、「八百屋お七」の解説の一部です。
「一家が避難した寺」を含む「八百屋お七」の記事については、「八百屋お七」の概要を参照ください。

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