ロシアへの進出とは? わかりやすく解説

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ロシアへの進出(1991-1994)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 16:10 UTC 版)

オウム真理教の歴史」の記事における「ロシアへの進出(1991-1994)」の解説

オウムロシアとのコネクションは、創価学会名誉会長池田大作モスクワ大学講演実現した斡旋業者500万円費用提案してきたことで始まったソ連8月クーデター発生直後1991年9月頃、この斡旋業者オウムミュージカル「死と転生」のボリショイ劇場上演と、麻原モスクワ大学講演提案し持ちかけ、教団承諾した。しかし、業者斡旋所属するコンサルタント会社無断行動であることが分かり業者支払った経費使い込んでいた。麻原ロシアでの企画実現するようコンサルタント会社説得した早川幹部1991年秋、ボリゾフ・ニコラエヴィッチ一等書記官接触しボリス・エリツィン政権財政難を救うために衣料品コンピュータなど5000ドル(約50億円)の援助申し出た1991年末のソ連崩壊後1992年2月来日したオレグ・ロボフロシア連邦安全保障会議書記日本政財界資金援助求めた全て断られていたが、オウム500ドル援助申し出最終的に1000万ドル(約10億円)を援助した。ロボフは「苦し時にオウム助けてもらったことは忘れない」と語っている。 1992年3月、ロボフが学長勤める露日大第一回国際企画として、教団300人の信者引き連れモスクワ訪問、ハズブラートフ最高会議議長やルツコイ副大統領面会した教団モスクワ国立大学には印刷システムを、モスクワ国立工科大学モスクワ工学物理学協会コンピューター教室を、エイズ防止のための注射針などを贈呈した麻原ロシアの各大学ヨーガ教室開き科学アカデミー・ノーベル賞受賞物理学者レーザー光線研究者バーソフ接触3月13日にはモスクワ物理工科大学日本人初の講演会開いて1000人の学生集まり同大主任研究員クルチャトフ研究所研究員にも信者獲得した。A.ピオントコフスキー、V.エゴーロフなどの学者は、生態系危機という問題意識から、オウムハルマゲドン回避するための教義共感する述べた麻原モスクワ府主教にも面会しロシア正教教会聖書用の紙8ドル分を寄付した6000収容できるクレムリン大劇場でのオウムミュージカル「死と転生」は超満員となり、大成功収めた1992年4月ラジオ局マヤークと年間80ドル一日2回、各25分の放送獲得テレビ局2×2でも毎週日曜日午前中の30分の放送獲得した4月1日にはラジオ番組エウアンゲリオン・テス・バシレイアスオウム真理教放送)」(直訳すると「王国福音」)を開始当初富士山総本部スタジオで制作したテープモスクワ空輸しウラジオストク中継基地から日本向けて放送していたが、94年12月から衛星回線生放送開始しロシア放送局内容確認十分にできず、教団は局やスポンサー左右されないラジオ番組入手できた。英語とロシア語放送行い世界向けた布教放送行ったまた、教団年間11000ドルというそれまで25倍の契約料で専属オーケストラキーレーン」を結成した麻原92年4月取材に対してロシア人は「共産主義経験でき、本当の意味での自由を経験でき」たことは幸せだったとし、「共産主義イデオロギー持ってる人たちが仏教本質理解できたら、それはそれでまた素晴らしい国ができるんじゃなでしょうか」と答えている。92年7月には宗教法人として認可され9月モスクワ支部開設した1992年秋、レーザープラズマ兵器情報集めていた村井広瀬健一渡部和実らがロシア見学し1993年2月モスクワ軍事大学AK-74迫撃砲調査後AK-74一丁入手した1994年2月麻原AK-741000丁の製造廣瀬豊田指示し95年1月には試作品一丁完成させた(自動小銃密造事件)。 オウムロシア軍基地自動小銃機関銃バズーカ砲実射などの軍事訓練信者らに行った。また軍用ヘリコプターミル17購入し(1994年5月横浜港搬入)、ほか、ミグ戦闘機29戦車T-72300台、魚雷艇潜水艦などの購入計画もあった。 1993年12月には毒ガス検知器防毒マスク防護服入手し1994年4月には自動式毒ガス検知器細菌検知器入手したほか、LSDの原料となる酒石酸エルゴタミン5kgを2500万円購入した、これにより遠藤がLSDを製造し1994年6月から7月にかけてキリストのイニシエーション信者らに投与された。 1993年12月にはモスクワ郊外66万平メートル土地入手し道場病院学校アパートパスタ工場などの「ロータスビレッジ」を計画し衣料品店経営にも乗り出したサンクトペテルブルクニジニ・ノヴゴロドウラジオストクハバロフスクウクライナベラルーシモルドバ北オセチアなどでも支部設立準備進め北オセチア共和国首都ウラジカフカス支部1994年1月開設しウクライナには兵器情報通信機器貿易を行うマハーポーシャ・ウクライナを設立した1994年2月麻原によるグルヨーガマイトレーヤイニシエーションではオリンピックホールに12000人が参加したオウムロシア各地7つ支部作りロシア信者数最大5万人に上った崩壊直後ロシアではソ連共産主義否定される中、50近い新興宗教団体活動しており、迷信UFOなども流行していた。また、ロシアではトヨタパナソニックなど日本製品への品質への信頼があり、オウム日本の宗教ということ信用され受け入れられていった

※この「ロシアへの進出(1991-1994)」の解説は、「オウム真理教の歴史」の解説の一部です。
「ロシアへの進出(1991-1994)」を含む「オウム真理教の歴史」の記事については、「オウム真理教の歴史」の概要を参照ください。

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