ロシアへの伐木特許とは? わかりやすく解説

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ロシアへの伐木特許

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:00 UTC 版)

鬱陵島」の記事における「ロシアへの伐木特許」の解説

1896年8月28日帝政ロシア朝鮮政府とのあいだに「露人ブリーネル茂山鬱陵島山林伐採並植付に関する約定書」を結び、鬱陵島森林伐採植栽に関する特許をユーリ・イワノヴィチ・ブリーネル(ロシア語版)が設立した朝鮮商会社」に与えた1898年10月中に、その特許ロシア枢密顧問官アポロジェフに譲渡されていた(1899年8月に在韓公使確認し外務省報告)。 1899年6月ロシア学者兵士鬱陵島派遣し日本人伐木従事しているのを発見し、8/7日本政府抗議した同年8月11日、在韓公使鉄道枕木用としてロシア得た伐木特許について鬱陵島白檀など全ての良材に対して適用されるのは承知できないとして朝鮮政府問いただした同年8月27日日本外務省伐木禁止退去命じる為、軍艦摩耶鬱陵島派遣する悪天候により断念勧告含め海軍省全て委任することを検討同年8月30日外務省より島根県鳥取県両知事に対して欝陵島での伐木禁止し取締るよう通達。また退去勧告は軍でなく外務官吏特派することを通達同年9月25日軍艦摩耶により欝陵島視察同地組長称する島根県人天源蔵と1名に聴取艦長による報告書によれば朝鮮人戸数500人で人口約2,000人、日本人は約100名で5〜6月までは150名といい季節により変動があったことがわかる。その他村落の位置や名前、戸数記録されている。朝鮮人農業主として漁業を営むものは少数であった。島の監督朝鮮半島から巡視役として派遣されており、前任者島民恨みをかい殴殺されたという。船の往来朝鮮船が竹辺付近より時折くるのみで定期船はなく、一方で日本人和船使って多い時で年に三回往復(大抵は三月五月九月出航)していた。日本人主な職業木材輸出(けやき)のみで、朝鮮人焼畑のため伐木焼却していたのを説得して伐木着手したのが始まり監督に税をおさめており、また多少雑貨や米の取引により朝鮮人喜ばれていた。 同年10月4日日本政府11月30日期限とする欝陵島からの退去命令に関して通行不便なため退去もその確認難しいことを在韓領事吐露している。 実際に1905年頃までに朝鮮人戸数400 - 500数えるまでに増えており、以前として日本人300程度居住していたことから、強制退去実効性不確実なものだった。 また同年11月8日今回強制退去伐木禁止させるのが目的であり、これを前例として韓国政府が在韓邦人のみに対して強制退去命じることがあれば公平ではなく相互条約に基づく義務要求するよう在韓領事外務大臣上申している。

※この「ロシアへの伐木特許」の解説は、「鬱陵島」の解説の一部です。
「ロシアへの伐木特許」を含む「鬱陵島」の記事については、「鬱陵島」の概要を参照ください。

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