ロシアの韓国からの撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 08:13 UTC 版)
「龍岩浦事件」の記事における「ロシアの韓国からの撤退」の解説
1898年3月、帝政ロシアは清国とのあいだで旅順港・大連湾租借に関する条約を結んだ後に韓国から撤退し、同年4月、日露間で韓国への干渉を制限する西・ローゼン協定が結ばれた。 この西・ローゼン協定について、帝政ロシアのセルゲイ・ヴィッテはその回顧録の中で「もし我々がこの協約を正直に守り、ただ紙の上ばかりでなく、この協約の精神にもっと忠実であったなら、言い換へれば、朝鮮を完全に日本の勢力下に渡してやったなら、恐らくロシアと日本との平和関係はいつまでも続いたことであろう」と述べている。
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