ロシアの農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「ロシアの農業」の解説
ロシアの自然条件は厳しく、農業に不利な地域が多い。国土の大半が高緯度寒冷地に位置し、作物は春小麦、ライ麦、甜菜(てんさい)といった、北方性農産物や酪農になる。霜のない期間は、黒土地帯で年間130日から160日に過ぎない。また南部の多くの地域は乾燥地域にあり、旱魃の被害を受けやすい。2006年から2012年にかけて、旧ロシア帝国、旧ソヴィエト連邦であるカザフスタン、ロシア、ウクライナの三国が世界の穀物輸出量の14%を占めるようになった。21世紀になっても旱魃などの影響で、凶作と豊作の差が激しく、安定供給が難しい状態である。イギリスでは18世紀後半には、播(ま)いた種の10倍の収穫を得るようになっていた。だが、ロシアでは19世紀末ですら5倍であった。ロシアにおいても、ヴォルガ川下流域や現ウクライナにあたる黒海沿岸地域では、19世紀末から第1次大戦直前にかけて、穀物の収穫量が大きく増えた。とはいえ、ヨーロッパで8世紀から19世紀まで行われていた三圃式農業(さんぽしきのうぎょう)が、いまだ広く行われ、1875年に凶作、1891年には旱魃による大飢饉、1906年は不作、1911年は凶作が起きた。
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