ロシアの講和
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 15:41 UTC 版)
「ブレスト=リトフスク条約」の記事における「ロシアの講和」の解説
1918年3月3日、ロシアと中央同盟国との講和条約となるブレスト=リトフスク条約は、ボリシェヴィキ政府と、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国との間で調印された。 条約によってロシアは第一次世界大戦から正式に離脱し、さらにフィンランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ウクライナ及び、トルコとの国境付近のアルダハン、カルス、バトゥミに対するすべての権利を放棄した。トルコとの国境地域を除くそれらの地域の大部分は、事実上ドイツ帝国に割譲された。ドイツ軍の影響下に入った地域では、次々と独立国家が誕生した。また、6月12日、ロシアはウクライナに対し休戦協定を結ばざるを得なくなった。なお、ウクライナでは4月29日に中央ラーダ政府がヘーチマンの政変によって倒され、かわってパウロー・スコロパードシクィイを首班とするウクライナ国が成立した。6月にはロシアとウクライナ国は休戦条約を締結し、第一次ウクライナ・ソヴィエト戦争は終結した。 加えて、ブレスト=リトフスク条約の調印の後、8月27日にベルリンで調印された追加条約によって、ロシアに多額の賠償金の支払いが課せられた。
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