ロシアの鴨緑江への進出とは? わかりやすく解説

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ロシアの鴨緑江への進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 08:13 UTC 版)

龍岩浦事件」の記事における「ロシアの鴨緑江への進出」の解説

1902年1月日本イギリスとの間で日英同盟結んだ当時イギリスは、世界各地ロシア対立していた(グレート・ゲーム)。1902年4月ロシア清国満州還付に関する露清条約を結び、ロシア軍満州からの撤兵始めたものの、ロシア将軍エヴゲーニイ・アレクセーエフ撤兵反対していた。1903年1月アレクサンドル・ベゾブラーゾフロシア全権大使として極東到着し、アレクセーエフはベゾブラーゾフの支持得て撤兵中断したまた、ロシア将軍アレクセイ・クロパトキン軍隊は「森林伐採事業支援するため」として鴨緑江方面進出したクロバトキン将軍自著の中で、「(ロシアの)対満鮮策を妨害するヨーロッパ人排斥する」ことを目的とする「北朝鮮防御陣地作って兵卒五千名と砲その他をもった分隊配置する計画」をアバーザ提督より渡されたと記している。 帝政ロシアウラジーミル・ラムスドルフ外相セルゲイ・ヴィッテは、「ベゾブラーゾフ一派のこの行動日露戦争誘致する」としてベゾブラーゾフ一派対立した。ベゾブラーゾフと対立していたセルゲイ・ヴィッテ回顧録によれば、ベゾブラーゾフは以前より以下のように述べていたという。 ベゾブラゾフの説くところは斯うであった。『我々は断じて朝鮮放棄するわけには行かない。しかし我々は関東州占領後日本との急激な衝突避けるためにやむなく朝鮮放棄したのである少なくとも公式には一度朝鮮放棄したのである。だから今となってはかくれた非公式の手段で朝鮮勢力扶植するよりほかに途はない。それには全たく個人的な性質をおびた各種利権獲得しなければならない。そして実際政府指導者となって組織的に漸次朝鮮占領するのである』 — セルゲイ・ヴィッテウイッテ回想記 上巻同年3月26日ロシア帝国三大臣が「譲歩政策」の方針署名した同年4月、木商会社の代表「クンスブルグ」が鴨緑江山林事業の開始韓国皇帝通告した同年5月7日ロシア帝国会議で「『譲歩政策』は結局我々を戦争に導びく」「ロシアの経済利益は、その利益保護するため極東において武装の必要を生じた」とする覚書承認しロシア帝国はこの新方針に基づき、以下の決議行った。 一、鴨緑江朝鮮側河岸主権握ることこのため事業軍略色彩かくさず且つ朝鮮政府よりの利権獲得具体化せざること。二、鴨緑江支那沿岸にて利権獲得せずに主権握ること。三、該事業外人参加せしめざること。四、外人をして満州干渉せしめざること。 — アレクセイ・クロパトキン満州悲劇序曲上記決議に基づき帝政ロシア1903年4月第二次撤兵はおこなわず、同月龍岩浦において土地買収開始し要塞起工して、ポート・ニコラスという軍港築き朝鮮半島北部への軍事支配をおよぼそうとしたのである日本も、これに対し1902年6月からの日清追加通商条約交渉において満洲への経済的進出をはかり、1903年10月日清追加通商航海条約調印した

※この「ロシアの鴨緑江への進出」の解説は、「龍岩浦事件」の解説の一部です。
「ロシアの鴨緑江への進出」を含む「龍岩浦事件」の記事については、「龍岩浦事件」の概要を参照ください。

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