ソ連の第一次五カ年計画とは? わかりやすく解説

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ソ連の第一次五カ年計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 08:36 UTC 版)

第一次五カ年計画」の記事における「ソ連の第一次五カ年計画」の解説

ただし、この言葉前提無しで、しばしば1928年ソビエト連邦ヨシフ・スターリン政権作成ゴエルロ・プラン巨大化させた同国最初五カ年計画指して使われる事がある本稿ではこれについて説明加える。ロシアの歴史ソビエト連邦の経済#第一次五カ年計画参照1921年ネップ採用以後ロシア革命と内戦混乱疲弊したソビエト連邦の経済はようやく立ち直った。しかし、営業認められ都市部小規模商工業者(ネップマン)や農村自営農民クラーク)が力を蓄えると、貧富の差解消労働者階級による国家統治という、社会主義基本理念との矛盾発生した。 これを解消しソビエト連邦共産党による強力な国家支配可能にしようと、スターリニズム西側陣営ハイペース追いつこうと新経済政策ネップ)に否定的見解を示すスターリン1928年ニコライ・コンドラチエフ党内反対派押し切り、この第一次五カ年計画発表した。こうして1930年代ソ連隔絶した経済圏を持つことで順調に重工業発展させていくとともにソ連型社会主義として再び強硬な社会主義化路線に戻る。 ここで主張されたのは工業化による強力な国家統制一党独裁体制固めた共産党の指導による総合経済政策であり、ソ連重工業重視生活必需品生産軽視工業化によって重工業大きく偏った国とすること、コルホーズ集団農場)の建設による農業集団化強行ソ連全土における電化電力網整備)などが含まれていた。施策直ち実行移されクラークなどに多く犠牲者出しながらも強引な近代化と工業化が進められた。特に五カ年計画推し進められた農業集団化で、ウクライナ社会主義ソビエト共和国重点地域となっていた。 さらに、1932年からはこれを引き継ぐ第二次五カ年計画発表され1937年まで実施された。1933年には、ロシア北方白海バルト海を結び、軍事的に重要な意味を持つ白海・バルト海運河開通した。これは第一次五ヶ年計画の主要プロジェクト一つであり、強制労働大量犠牲者出しながらわずか2年工期作られた。他の大規模公共事業も、恐怖政治犠牲になったおびただしい数の無実囚人の命と引き換え完成していった。第一次五カ年計画強行に伴い罪人者の監房すし詰めで、勝野金政なども収監憂き目会っている。マナープなどの遊牧民定住化政策大々的展開されキルギス、そして中央アジア全体において遊牧部落消滅していった。 海軍艦艇整備計画第一次五カ年計画一環であり、これに基づいてレニングラード級駆逐艦や、このほかT-35重戦車T-43 (戦車・水陸両用)開発機甲師団強化を図る。ロシア革命その後の混乱により弱体化していたソビエト連邦であったが、1930年代中盤頃までに第1次及び第2次五カ年計画経て急速にその国力回復。またソ連着実に赤軍極東軍管区増強継続計画によりまた赤軍機械化実現する中で、縦深攻撃戦略理論完成されていったアエロフロート・ロシア航空第一次五カ年計画によってウクライナ航空会社とドブロリョートが集約したもの。地上設備整備訴えその後五カ年計画空港の整備などが政策盛り込まれる企業再国有化グム百貨店GUM独裁体制の下での第一次五カ年計画開始からGUM内の全ての店舗国営接収ロモ第一次五カ年計画に伴う企業再編会社の名称が変わる。 その結果ソ連政府の公式発表によると、鋳鉄生産高1928年330トンから1932年には620トン第二次五ヶ年計画最終年1937年には1450トン)、発電量が1928年500キロワットから1932年1350キロワット1937年には3620キロワット)など、重工業部門大きく生産量伸ばしたソ連国外で研究によると、この10年間における各数値増加率は、ソ連国内総生産年率4.6%、鉱工業生産年率10.5-16%(10年間で2.5-3.5倍)、機械工場数年率27.4%という数字提示されている。 重工業傾斜した産業政策ノヴォシビルスクといった重工業都市工業センターとなる計画都市生み出され重工業化によってウファでは自動車工場など作られトルキスタン・シベリア鉄道残っていた1,442kmの全線第一次五ヶ年計画の期間中1930年完成ギドロプロエクト1930年設立され第一次五ヶ年計画における水力発電ダム建設企画調整した。 この成功により、ソ連は後にソ連型社会主義呼ばれる独自の社会体制建設した以後ゴスプラン国家計画委員会)による長期経済政策策定国家の各機関による実行が行われた。 また、国家による長期経済計画策定その実行はソ連以外の資本主義諸国驚愕もたらしたアイザック・ドイッチャー1931年第一次五ヶ年計画最中にあったソ連訪問経済状況などを視察するソ連計画経済成功は、政府積極的に経済政策介入するケインズ経済学登場ニューディール政策提起つながっていった。第一次五カ年計画によって世界恐慌とは無縁の関係となったミハイル・イリーンソ連体制との折り合い良く第一次五ヶ年計画肯定的に扱った著書などがある。 チェルカースィ第一次五カ年計画により特に食品産業軽工業に力が入れられ1950年代末からも、化学産業発展しその州都となっていく。 その一方第一次五カ年計画ロシア・アヴァンギャルドなど文化面では抑圧されるツェントロソユーズ建設計画でも第一次五カ年計画起因する材料不足に直面華々しい展開を見せていた建築一転政治的に排除対象とされ、それまで建築家場合は、演劇メイエルホリドのように銃殺されたり、詩人マヤコフスキーのように自殺の手ではなく緩やかに排除なされていった。大会議場連邦国家威信をかけ第一次五カ年計画締めくくりとして行われたソビエト・パレス建築コンペティションデコレーションケーキ派手に巨大化たようなデザインであったし、ロシア・アヴァンギャルドロシアのクラシック音楽史にあっても、第一次五カ年計画執行へと社会情勢急速に変化する中では次第抑圧されついには歴史から抹殺されるにいたる。 戦前期日本制定した電力国家管理法などは、ソビエト連邦第一次五カ年計画模倣である。満州国などでも産業開発五カ年計画などを採用している(満州国の経済参照)。

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