ソ連の経営妨害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 22:15 UTC 版)
第一次五カ年計画で国力を増したソ連は外国資本の排除にかかり、北樺太石油にも圧力をかけるようになった。 北樺太のコンセッション企業はソ連の鉱山監督官、労働監督官、技術監督官に監督されていた。ソ連の国内法やコンセッション契約の違反を判断する監督官の権限は強く、監督官の命令で作業が中止されたり、時にはモスクワでの交渉を余儀なくされることが頻繁に発生した。また、監督官によって対応は異なり、北樺太石油に厳しくトラストには甘いといった不公平な対応が頻繁に行われた。 ソ連は様々な妨害を行い、以下のような状況であった。 事業計画や物資輸入計画、労働者雇用計画、原油搬出計画などの認可を遅らせたり縮小・却下させ、予定作業を妨害。 現地事情を考慮せず、大規模な技術安全規定、衛生火防規定などを杓子定規に適用し、命令・要求を頻発。 社員の入国を妨害。左近司政三社長も現地視察を拒否された。 社員を些細な法規違反で裁判にかけ、過酷な刑罰を適用。中にはスパイ容疑をかけられ、2年半の実刑を受けた者もいた。 1938年には赤字に転落し、政府からの補助金で埋め合わせた。 これらの圧力に対して北樺太石油および駐ソ大使が抗議を行い、また国内でも外務省が世論に訴えた。そして1939年(昭和14年)2月には衆議院で日本政府に対策を講じるよう求める「対ソ権益確保に関する決議」がなされ、同年6月末から9月末まで、海軍も軽巡洋艦夕張のほか駆逐艦数隻がオハ沖で示威行動を行い権益保護の姿勢を見せた。しかし同年には団体契約交渉が難航、労働組合の要求の大半を受け入れて11月に調印したが、冬季労働者の雇用申請期限に間に合わず、エハビ、カタングリでの越冬経営が不可能になった。
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