ソ連への侵攻(バルバロッサ 作戦)
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「第1降下猟兵師団」の記事における「ソ連への侵攻(バルバロッサ 作戦)」の解説
詳細は「バルバロッサ作戦」を参照 1941年8月に第7航空師団はドイツに帰還した。ソビエト連邦への侵攻は進行中だったが、最初の夏の期間に師団は何の役割も果たさなかった。クレタ島での降下で被った損耗は新たに訓練された要員で補充され、1941年9月に師団は戦力を回復した。9月24日に師団はロシアのレニングラード戦線への移動命令を受けた。 過去の作戦行動と同様に精鋭の第7航空師団は、赤軍の攻撃に対して揺らぎ始めたドイツ軍防衛陣のいたる所へ戦線補強のために中隊や大隊戦力単位で投入された。これらの活動から降下猟兵達は「総統の消防士」と呼ばれるようになった。 9月29日から第7航空師団の第I連隊と第III連隊はネヴァ川沿いの突出部の防衛に参加した。戦闘は冬まで続き、部隊は鍔迫り合いで多大な損害を被った。最終的には師団は12月半ばで交代しドイツへ帰還した。 一方で第2連隊は11月に赤軍の冬期攻撃に対する防衛のために南部地区に配備された。連隊は冬の間を通して前線に留まったが、敵の攻撃によるものよりも極寒の環境での消耗の方が大きかった。1942年3月に第2連隊は、激しく続く赤軍の攻撃からの防衛のためにレニングラード南東のVolkhov戦線へ送られた。 1942年6月に第2連隊がドイツに帰還すると、連隊は第7航空師団から分離され新しく編成される第2降下猟兵師団の中核部隊となった。 第7航空師団はフランスのノルマンディーで戦力回復中であり、転出した第2連隊の代わりに第4連隊を編成した。その後、同じ年に師団をロシアでのドイツ軍の夏の攻勢に使用する案が立てられたが、計画は破棄され第7航空師団は10月にスモレンスク近郊のルジェフ地区に配備された。 冬の期間の大部分は哨戒と前線での限定的な攻撃のみが実施された。レニングラード攻防戦は進行中で、ソビエト連邦は前線の南部地域に焦点を当てていた。1943年3月に赤軍が第7航空師団の前面に突撃してきたときにこの状況が変わったが、この攻撃は赤軍に手酷い損害を与え撃退された。 5月に第7航空師団がドイツに帰還すると第1降下猟兵師団が編成中で、その後フランスのアヴィニョンへ移動して再装備と編成を完了した。7月10日に連合国軍がシチリアへの上陸を開始すると師団の短い休暇は終了した。
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