ソ連への帰国後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:32 UTC 版)
「ニコライ・ネフスキー」の記事における「ソ連への帰国後」の解説
1929年9月、敦賀港からソビエト連邦共和国となった祖国に単身帰国、レニングラード大学(旧ペテルブルク大学)内の東洋学研究所で助教授となり、イワノフと共に、カラ・ホトの西夏語のテキストの研究と西夏文字の解読に着手した。ロシアの探検家ピョートル・コズロフによりカラ・ホトで見つかった語彙資料に基づいて西夏語の辞書編纂に取り組んだ。1933年11月4日、妻のイソと娘のエリナがレニングラードに到着するが、1937年10月4日、日本国のためにスパイ活動を行ったとして内務人民委員部(NKVD)によって逮捕され、翌月24日、夫妻は「国家叛逆罪」により大粛清(銃殺刑)された。娘エレナは両親の処刑後、ニコライ・コンラドや3家族に引き取られた。
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