ソ連への残留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:05 UTC 版)
「日系ロシア人」を参照 また、ソ連当局の勧誘を受け民主運動に関係したり、日本に身寄りがなく帰国しても行くあてがなかったり、現地の人間と恋仲になったりなどして帰国せずにソ連に残留して帰化した例もある(川越史郎など)。また、ソ連側から帰国を認められなかった例もある(蜂谷彌三郎)。ソ連にとどまった総数は約1千人とみられ、2017年(平成29年)時点でもロシア北西部レニングラード州に、満州国軍元軍曹で北海道出身の田中明男が存命であることが明らかになった。田中の回想によると、1950年代に入って抑留者の日本帰国が本格化すると、収容所幹部が「末端の兵士以外は、帰国すれば裏切り者として迫害(抑圧)される」と残留を勧めるようになり、信じて残留を決めた者もいたという。
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